●中国古典思想の中の性善説と性悪説、そこから出てきた思想
田口佳史でございます。私は、この47年間ひたすら中国古典思想を読んできました。
中国古典思想にはどのようなものがあるかといえば、皆さんよくご存知の『論語』、あるいは、『大学』、『孟子』、『中庸』といった「四書」、それから、『易経』、『書経』などの「五経」があります。
「四書五経」を儒家の思想と言いますが、これに対して、道家の思想、老荘思想の『老子』、『荘子』があります。それを読み進めると、今度は法家の思想です。先に申し上げたのは性善説でありますが、中国古典思想の中の性悪説としては、管仲の 『管子』、それから『韓非子』といった法家の思想があります。
性悪説というと、皆「人間とは最初から悪いやつで、どうやっても取り締まることはできない」と言ってしまうのですが、儒家の思想の中での性善説、性悪説については、少々誤解があります。正しく言うと、「自分で自分が制御できる」というのが性善説であるのに対し、「それは無理ではないか。したがって、法によって治めていく以外にない」というのが性悪説で、そこから法家の思想が出てくるのです。
●春秋戦国時代という戦乱の世を背景に生まれた中国思想
皆さんよくご存知の春秋戦国時代は、紀元前770年から紀元前221年です。紀元前221年は、秦の始皇帝が建国した年ですが、この約550年間は治乱興亡で、ずっと戦乱の巷でした。どのぐらいの期間かを実感していただくために、私はいつも「1600年に起こった関ヶ原の戦いがその後550年間続いているようなものだ」と申し上げているのですが、そうすると現在も戦乱の真っ只中ということになります。
このような時代に、成年男子は何のために生まれてくるのかと言えば、それこそ兵役のために生まれてくるようなもので、これでは、人生が意味を持たないという状況になってしまいます。そういう中で、何とかこれを押しとどめて、皆が健全な社会と愉快な人生を歩んでいくために出てきたのが、性善説の儒家と性悪説の法家の思想、あるいは、もっと包括的に論じている道家の老荘思想なのです。
その他にも、「武経七書」の兵家の思想があります。これには、『孫子』、『呉子』、『六韜』(りくとう)『三略』(さんりゃく)などがあり、これらも春秋戦国時代に生まれました。
●江戸時代を支えた儒家の思想の流れと日本の儒学者たち
時代がずっと下りまして、1130年から1200年まで生きたのが朱子であり、俗に言う朱子学が出てきます。ここでも多士済々、非常に立派な人間がたくさん出て、読み応えのある古典もたくさん生まれています。それから、また時代が下って、今度は明の時代になると、王陽明が出てきます。陽明学もなかなか捨て置けない立派な儒家の思想です。
こういうものが日本に流れてきたのは、全て江戸時代です。したがって、これらを幼年教育として、それこそ6歳から読み進んでいった人たちが、江戸時代を支えていくのです。林羅山を中心として、林家による儒家の思想が起こりますが、幕末までずっと、今で言う文科大臣のような役割を果たすのです。
幕府の学問所である昌平黌(昌平坂学問所)を中心に、300有余藩全部に藩校ができました。そこには数人の全国区の大儒(非常に立派な儒者)がいたのですが、調べてみて驚いたのは、どの藩にも必ず、どこでも通用する見識を備えた儒者がいたことです。
また、そういう人たちが書いた書物も実に読み応えがあり、中江藤樹や熊沢蕃山の書物も、現在のために書かれたのではないかというぐらい、非常に迫ってくるものがあります。
さらに時代がずっと下って、今度は幕末になると、佐藤一斎を中心にして、山田方谷や佐久間象山、横井小楠など、挙げればきりがないのですが、皆、名著を出しているのです。
●『孫子』ブーム-発端はアメリカのビジネススクールから
こういう書物を読み進んできたのが、私の47年間ですが、2000年から振り返ってみても、各時代にブームがありました。2000年から5、6年間は『孫子』のブームが起こりました。どこに行っても「一つ『孫子』をやってくれないか」と言われ、何カ所でお話をしたか分からないほどです。
これはひとえに、アメリカのビジネススクールが、戦略論と組織論を教えることが主たる仕事であるためです。そこで戦略論と言えば、どうしてもフォードの戦略論やアルフレッド・スローンになるのですが、やはり戦略論はリデル・ハートに尽きるのです。そうでなくても、せいぜい海洋戦略論のアルフレッド・セイヤー・マハンで、このリデル・ハートやマハンへ踏み込んでいくことになります。
リデル・ハートは、実は『孫子』をものすごく通読した人で、非常に孫子的...