●「陰陽」とは、そもそもどういうものか
さあ、もう一つ。3番目のお話では、陰陽思想についてお話し申し上げたいと思います。
最近、西洋から来る方々の多くが、こぞって「インヤン・メソッド(陰陽論)」に触れるようになってきました。そこでまず、陰陽とはそもそもどういうものかについて、お話をしたいと思います。
ここに易経の陰陽図があります。これを見ていただければ分かるように、最初は「太極」という大本があり、そこが陰と陽の二つに分けてあります。つまり、この世に存在しているものは全部、陰と陽から成り立っているというのが陰陽論の解釈です。
もっと細かく言えば、陰陽の陰にも、陰の強い陰と、陽も入っている陰があります。陽も同じで、陰の入った陽もあれば、陽の強いものもあります。その考え方が、次の「象」というものになります。それをもっと細かくして、陰陽の加減をずっと示しているのが、実は「当たるも八卦」の「八卦」なのです。
これが易経の図ですが、この世のものは全部八卦すなわち陰陽で述べることができるとするのが易経の考え方です。
●「陰と陽」のそれぞれの意味と存在の仕方について
次に陰陽の意味を知りましょう。「『陰』とは何か」をあえて問えば、これは「充実・革新」のことです。物事をもう一度充実させる必要がある。あるいは、がらっと革新させる必要がある。これが「陰」です。逆に「『陽』は何か」と言うと、「拡大・発展」です。つまり、「陰」は中へ入ってくる力、「陽」は外へ出ていく力ということになります。
それでは、陰陽はどう取り扱えばよいのでしょう。例えば私はどう見ても男すなわち「陽」ですが、私の中にも「陰」はあります。女性的なものがあるからこそ、男性性が発揮されているのです。何によらず一つではなくて、その裏に相対性がちゃんとあることが表されているわけです。
言ってみれば、陰陽というものは、こういう真っ二つに分かれた形で存在しているのではないことを表しているのです。どうなっているのかというと、太極図のようになっています。
つまり、双方が相補い合って成り立っているものなのです。これが西洋社会の方にいくと、“Complement”あるいは“Complementarity”と言われ、非常に経営の世界で注目を集めつつある概念になります。
●二者択一の問題か、西田幾多郎の「絶対矛盾の自己同一」か
どういうところで陰陽が注目を集めているのかと言えば、問題が発生したときです。例えば、「コストダウンを採るか、サービスアップを採るか」といった問題があって、どうしようかと議論をするときなどです。
「今期は業績があまりよくないからコストダウンを採ろう。サービスアップは来期の課題にしよう」などといった解決をした場合には、最初からどちらを採るかの考え方で議論が進んでいます。
しかし、この世にはそんな形で存在するものはありません。これはまさに近代西洋思想が提示した「二元論」の考え方であり、実際にはそんなものはないのです。そうではなくて、そもそも問題自体が、太極図のように相補い合っています。
これは、西田幾多郎の言う「絶対矛盾の自己同一」ということです。要するに、離れてみれば一つに同一されている存在であって、接近して見るから別々に見える。しかし、本来は陰陽を併せ持つ相補い合う存在だということです。
●「半球」だけの解決を繰り返すと「50点企業」になる
今の「コストダウンを採るか、サービスアップを採るか」の議論に、この考え方を当てはめるとどうなるでしょう。「じゃあ、今回はコストダウンを取ろう」というのは、恐ろしいことに半球だけを取って、もう半球を捨ててしまっていることになります。
こういう解決策ばかりを繰り返していると、満点が50点になってしまいます。それを私は、「50点企業」と呼んでいます。社員全員が朝から晩までしゃかりきになって働いているのに、どうしても業績が上がらない場合が、いい例になります。その原因の中の一つには、そのような思考があるのではないでしょうか。二者択一思考の産物すなわち結果があるのではないかと思うのです。
本来採るべきなのは両方です。コストダウンも採るし、サービスアップも採る。なぜならば、両者の関係はこのように相補っていて切っても切れないからです。
「え? そんなことができるのか」といわれるでしょうが、一つ例を申し上げると、宅配便に非常にいい例があります。
●コストダウンとサービスアップを両立した「時間指定」
宅配便は、それまでの運送業の常識を覆して小荷物をドアトゥドアで届けてくれる、非常に革新的な業態といえます。したがって革新の気風が極めて強く、これほど革新性に富んだ業務内容を採用している業態はないと言えるほど...