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日本が学ぶべきは20世紀初頭における日英同盟の歴史

日米同盟の重要性を考える

野田佳彦
衆議院議員/第95代内閣総理大臣
情報・テキスト
日英同盟によりガーター勲章を受ける明治天皇(1906年)
国家経営のマネジメントとして、日米同盟は外交安全保障の基軸となる大事なテーマ。なぜ日米同盟が重要なのか。民主党政権時代に行った米国との信頼関係作りに焦点を当てながら、21世紀の日米関係について考える。
時間:14:46
収録日:2014/02/27
追加日:2014/03/13
カテゴリー:
≪全文≫

●国家経営のマネジメントとして大事な三つのこと


---- いかに日米同盟が大事かということですが、民主党政権時代は 鳩山さんから始まり、野田さんの時代も混乱していたわけですよね。その混乱のなか、日米関係が、野田さんの登場によって、ワシントンも変わっていきます。なぜ変わっていくことができたのか、そのあたりのことをお聞きしたいと思います。
それから、野田さんが大事だと思うことを相手に対し約束として果たしていきますよね。そのことについて、オバマ大統領と野田さんの間でどんなやりとりが交わされたのか、そのあたりにも焦点に当てて聞かせていただければと思います。
ではお願いいたします。

野田 私は、95代目の内閣総理大臣をさせていただきまして、特に国家経営のマネジメントとして、三つのことが大事だと思っていました。一つ目は、外交安全保障を考えたとき、なんと言っても日米同盟を基軸にするということです。二つ目は、物事を動かしていくためには、霞が関と心を合わせ、同士として一緒に仕事をするという心構えを持つことです。三つ目として、これは政治利用したと誤解されてはいけないと思いますが、皇室を大事にしていくということです。この3点を心がけることが、国家経営のマネジメントの基本だと思っていました。

●学ぶべきは20世紀初頭における日英同盟の歴史


野田 とりわけ最初に申し上げた日米関係について、私の歴史観でお話しします。
1902年に、当時のイギリスという、スーパーパワーを持った国と同盟を結んだことが、日露戦争という困難な局面を乗り越えることができた最大の要因だと思っています。そのスーパーパワー国との関係を約20年後に解消したことが、先の大戦へと向かう、日本外交の漂流につながったと思っています。20世紀の初頭、日英同盟が大事だったにも関わらず、そのことを見失ったわけです。21世紀に同じ間違いをしてはいけない。だから21世紀の初頭は、やはり日米なのです。この関係を進化させていくことが大事だと思いました。
したがって、さまざまな国とうまく外交関係を結んでいかなければいけないのですが、特に気を使わなければいけないのは、日米関係だと思っていました。そのために、まずオバマ大統領と個人的な信頼関係を作ること。その上で、実務的にいろいろと意見交換をしながら、約束したことをきちっと守っていくということ。私の480日間はその心がけに苦心した日々だったと思います。

●初対面からオバマとの信頼関係作りに心を配った民主党政権時代


特に私の場合は、民主党政権になって3代目でした。例えば借金の問題を含めて、自民党時代からの負の遺産もあるのですが、外交関係では、普天間の問題で日米間がこじれたという、民主党政権になってからの負の遺産も残念ながら引き継いでいかなければならない立場でしたから、とりわけマイナスからのスタートだったのです。
どの会議の冒頭でも、相手が信用する、しないは別にして、日米関係が大事だということを、誠意を持って申し上げましたし、日米関係がまさに日本の外交安全保障の基軸であると、常に言い続けてきたのです。
東日本大震災のトモダチ作戦を見て、国民の皆さんも感じたと思いますが、やはり日米関係が軸であるということを確信しましたので、それがゆるぎのない信念になったと申し上げたわけです。
だから、TPPの議論をするときも、日米が軸になって一緒にルールメイキングすることの意義などをさかんにお話したつもりです。
さらに当時、日米間には、ハーグ条約の問題、子の親権の問題、それから、BSEの牛の問題など、いろいろなテーマがたくさん横たわっており、当然、普天間の問題も残っていました。
そういったいろいろな問題を、一つ一つ議論しながら、いつまでにどんなことをやるのか、ということを、常にオバマ大統領とお話をしました。一見、ビジネスライクに見えるかもしれませんが、実務的なことはしっかりと頭に入れて、メモを見ないで議論するということをやり続けることによって、だんだん信頼関係ができてきたのではないかなと思います。
初対面はニューヨークの国連総会でしたが、「I can do business with him」という言葉が出ましたので、ファーストコンタクトの頃からうまくいっていたと思います。
2回目に会ったのはホノルルのAPECです。そのときは、TPP交渉参加に向けて協議に入るという態度を示すときでしたが、特に気を使いました。
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