●パリ同時多発テロ〜新たな歴史の転換点〜
- パリにおいて2015年11月13日夜、大虐殺とも言うべき誠におぞましい事件が起きた。おそらく歴史を後世から振り返ったとき、この11月13日夜のパリの大虐殺ともいうべき事件は、かつてのさまざまな歴史の転換点がそうであったように、世界に新しい時代、新しい秩序、もしくは無秩序がもたらされた日として思い起こされるかもしれない。ローマ教皇のフランシス法王は、このテロ攻撃を「disorganized」、まとまりを欠く第3次世界大戦の一部であると表現した。
- パリ同時多発テロについて、非常に大胆な定義を仮説的に提示しておくと、第1次ポストモダン世界大戦、あるいは、第1次ポストモダン世界戦争とも呼ぶべきものが始まったということではないか。
- もっと根源的にポストモダン的な現象として、パリ同時多発テロの事件から私たちが学ぶべきは、価値観、あるいは生活観、すなわち、そこには人々の日常生活があり、人々の幸せな仕事の場がある。そして、娯楽というものを楽しむ。そうした人々を憎悪し、かつ正面から攻撃したという誠におぞましい事件が、今回のテロの本質に関わる問題であるということだ。
パリ同時多発テロ(1)新しい世界戦争の始まり
●ISが引き金になって、破綻国家が誕生
- ISが引き金となって現在の中東を混乱に陥れ、パリにおける無差別の大虐殺を行うことになったのは、現代世界においてしばしばfailed state(破綻国家)というものが生じているということと無縁ではない。ゆるぎなく存在するかに思われた国家が、さまざまな犯罪団体やテロリストによって寄生され、そして、その力によって腐食され、中から国家の内部、あるいは骨組みが腐朽し腐食していく。その結果、そうした国家が解体していくという現象を、私たちは、アフリカから中東に至る地域において現実にいま、見ている。
- 第1次ポストモダンの世界戦争と仮に言っておくと、これは国家というものの力を非常に無視している、あるいは国家という力が一部においては弱まっている、国家というものが内向きに入り過ぎた結果、外との関係を持ち得なくなってきている、こうした時代の一つの産物として、警戒するべき点ではないか。
パリ同時多発テロ(2)これはISだけの問題ではない
●最大の敵はIS〜アサドと米欧の関係性〜
- 危険極まりないISに対して、自分たちを新しい知的なパラダイムで武装し、世界を率いて指導しようという政治家やトップリーダーたちが少ないというのも現実だ。
- イスラム世界は、西欧が開発した技術や工学を移入せざるを得ず、それを基礎にしたものの考え方も導入しているが、それらを総体としてイスラム世界の中で生かすことには、必ずしも成功していない。むしろそこから生まれた鬼っ子が、アルカイダやISのようなニヒリスティック(虚無的)な世界観や生活観を持つ若者たちだといえるだろう。
- 早晩、「最も重要かつ深刻な敵は誰か。それはISだ」ということになると、「敵の敵は味方」という理屈から、ISの最大の敵であるアサド大統領と米欧の間に英語でいう“deal”(取引、手打ち)が行われるだろう。そうなれば、とりあえず暫定政府が成立する中で、アサド大統領の延命が計られていく可能性は高まっていく。このことは、「『アラブの春』とは何か」の大本を考える場合、非常に大きな悲劇になる。
パリ同時多発テロ(3)欧米諸国が直面する問題
●欧州人テロリストは中東のISで3分の1を占める
- 同じ信者を無差別に殺し、権力を求めるあまり、もともとは普遍的な啓示宗教であった世界宗教のイスラームを、過激派の政治イデオロギーとし、あるいは暴力を礼賛する水準にまでイスラームへの偏見を増長させたISの責任は、大変大きい。
- パリやブリュッセルのテロ犯たちのことを考えてみると、彼らは父や祖父の代、あるいはそれ以前の父祖たちの時代に移住してきた人々だ。つまり、もともとは北アフリカや中東に由来するムスリムであったとしても、彼ら自身はヨーロッパで生まれ育っている。その意味で、彼らは「欧州人テロリスト」、すなわちヨーロッパが生んだテロリストであるということに注意しなくてはならない。しかも、これら欧州人テロリストたちは、中東のISで3分の1を占める割合にのぼり、シリアとイラクにおいては、パリやブリュッセルの被害者よりもはるかに大勢の人々をテロと戦争で殺害している現状がある。
「テロ」とは何か(1)欧州人テロリストの実態
●対話は神の唯一性とつながったテロへの抑止力にはならない
- 多文化主義や文化相対主義が、神(アッラー)の唯一性を尊重するイスラーム信仰に対して寛大であるという事実や、寛大であるべきだという主張には、もちろん何の問題もあるはずがない。しかし、同時にそれは、自らを真理の絶対唯一的な表現者だと若者に思い込ませ、イスラームにおける「神はアッラーをおいて他にない」という唯一性と強引に重ね合わせるような傾向につながったのではないか。すなわち、ISのような過激な政治潮流を許してしまったことの遠い原因になった。
- 対話を進めるという政策はこれからも続くだろう。しかし、これは知識人や教養人、政治家や外交官、学者との対話であり、彼らといくら対話したところで、そもそも人からの受容や交流を拒否しているようなテロリストをなくすことには、まったくつながらない。対話や貧困対策を強化すればテロが消滅するというのは、空想的平和主義であり、テロへの抑止力にはならない。
「テロ」とは何か(2)「自由」はテロの遠因をなしたのか
- ヨーロッパにおいて、キリスト教が内部からマルチン・ルターという改革者によるプロテスタンティズムを生み出したように、イスラムにおけるルターの出現を待ち望むという声もある。しかし、仮にイスラムにルターが出現したとしても、ISやアルカイーダのような人物たち、今でも既存の権威やエスタブリッシュメントに反逆した人たちが、イスラムのルターなる存在に従うとは思えない。
「テロ」とは何か(3)長期の理想より目の前の危機対策
●民主主義と発生予防型のテロ抑止力との関係を日本でも議論すべき
- フランスやベルギーで露呈したのは、テロリストが国境を越えているのにテロ情報は国境を越えて国家間に国際的に共有されていない、という現実だ。こうした欠陥を是正して、国境を安々と越えるテロリストの移動を入国以前に阻止する、あるいは、域内の移動を自由にさせないためにそれを阻止することが重要だ。
- ISのテロとは、国家ではないけれども殆ど国家に準じるような非国家的な主体の組織によるものだ。したがって、これは国家とはピタッとシンメトリーにお互い向かい合うという対称性を持たない非対称的な、いろいろな要素が混じり込んでいるハイブリッド型の戦争として認識することが大事だ。
- 中東・欧州複合危機が起きた現在、日本が学ぶべき教訓は、自由や秩序を守るためにテロ対策を、事故が起きたときに対処していくという「事故対処型」から発生をいかに予防するかという「発生予防型」にするべきだということだ。
- 私たちは、第一次と第二次という二つの世界大戦、そして冷戦を乗り切った歴史の教訓と先人の犠牲を否定しないためにも、民主主義と発生予防型のテロ抑止力との関係を、日本でも広く議論すべきではないか。これが複合危機の第三次世界大戦への発展を食い止めていくための重要な第一歩である。
「テロ」とは何か(4)民主主義とテロ抑止力