●ドイツに向かって大挙するシリア難民たち
皆さん、こんにちは。中東危機の発展とともに、シリアなどの難民問題が大変解決困難な問題として新たに浮上してきました。
私は8月下旬から9月上旬にかけての2週間ほど、ヨーロッパ(ドイツ)からアラブ首長国連邦、ドバイ、さらに中央アジアに飛び、カザフスタンではアルマトイとアスタナ、ウズベキスタンではタシケントとサマルカンドのそれぞれ2都市を回ってまいりました。
この出張の最中、どこの国でもテレビや新聞のトップを飾っていたのは、ハンガリー経由でドイツやオーストリアに向かおうとしていたシリア難民の流れでした。
私がミュンヘンを訪れたのは、毎年経済産業省や中東協力センターの肝入りで行われる「中東協力現地会議」で基調講演をするためでした。シリア難民の姿がちらほらとミュンヘンに現れ、さらに大きな流れが向かおうとしている最中に私はドイツに滞在し、その様子を見ながら中東のドバイに戻ったのです。
●クルディ少年の写真がヨーロッパに与えた衝撃
日本でも流されたニュースだと思いますが、クルド系シリア人の少年アイラン・クルディくん(3歳)の遺体がトルコの地中海岸の保養地、ボドルム近くの海岸で見つかった事件は、中東でもヨーロッパでも大きく報じられていました。彼の写真がもたらした大きな衝撃は、特にヨーロッパ社会ではこれからも世代を越えて語り継がれ、将来にわたって継承されていくものと思われます。
彼とその兄、そして母親の3人は、最近のシリアに広がったグローバルな危機と直面したための悲劇による犠牲者です。
3人は、生命の安全さえ確保できないほど危険と混乱に満ちたシリアから「自由への道」を求めて避難しようとしました。しかし、その道は閉ざされてしまい、故郷コバニへの帰郷は遺体という無念なかたちで、埋葬されるために祖国へ戻ることになってしまいました。なんという痛ましさでしょうか。
シリアの紛争について少し振り返ってみると、人口2200~2300万人の国の中で、すでに400万人の難民が国外へ出ました。国内においてはもっと多く、700万人が家や故郷を失って国内難民と化してしまっています。
●「第2次大戦以来最大の難民危機」と見る欧州
ヨーロッパ滞在中、私はドイツの新聞やテレビを通して毎日のようにヨーロッパの国境を横断して...