●現段階で賃金を上げていくのは、簡単な話ではない
今年、そして今後2、3年で、経済が本格的に回復するかどうかを占う重要なポイントは、賃金がどのように動いていくかだろうと思います。
消費税が上がり、物価が少し上がり始めていますが、賃金はそれを十分に反映しておらず、実質賃金は下がっています。労働分配率、つまり経済全体のうち、労働者に賃金として支払われる部分もなかなか伸びず、むしろ縮小しており、結果的に消費を抑え込んでいます。賃金が上がらなければ物価の上昇につながりませんから、政府はなんとか賃金を上げたいと考えており、そのためにさまざまな政策を行っています。
ただ、現実問題として、賃金はなかなか上がらないでしょう。その理由はいくつかあります。まず企業の経営者の立場に立って考えると、経済状況が変わったからといって簡単には賃金を上げにくい。契約、労使交渉で決まるベア、ボーナスなどの正規賃金は、どうしても上がるまでにタイムラグがある。いずれは上げるにしても、今すぐではないという状況にあると思います。
それから、もう一つ深刻なのは、日本の高齢化が進んでいく中で、団塊の世代が引退の時期に入りつつあることです。大企業は、60歳まではある程度賃金が上がっていくのですが、60歳から65歳までは、雇用は保障されるものの賃金は下がります。年功で高い賃金をもらっている50~60代が減っているため、たとえ1人当たりの賃金が全体的に上がったとしても、日本全体の平均賃金がなかなか上がりにくい状況が生まれています。現段階で賃金を上げていくのは、簡単な話ではないのです。
●非正規の分野で賃金が顕著に上がり始めている
ただ、ここにきて少し流れが変わってきているかもしれません。深刻な労働力不足のために、特に非正規の分野で賃金が顕著に上がり始めているのです。安倍内閣の成果と言われているのですが、有効求人倍率は、過去23年で一番高い1992年の水準まできています。このままいくと、あと1、2年で、ひょっとしたらバブルのピークに匹敵するほど、労働市場の引き締まりが強くなるかもしれません。その状況を反映して、アルバイト、パート、製造業の期間工の賃金が急速に上がっています。最も市場にセンシティブな部分から賃金が上がってきているのです。
加えて、日本は少子高齢化のプロセスの中にあります。政府の推計によれば、2020年までに、労働供給は約6パーセント縮小すると言われています。毎年、1パーセントずつ縮小していくわけです。これが今後、賃金を上げる要因になるのではないでしょうか。派遣、パート、アルバイトから上がり、じわじわと正規社員の賃金上昇につながっていくのではないかと思います。これがいかに早く効いてくるかが、日本にとって重要なポイントだろうと思います。
●名目の価格をどこまで上げていけるかが問われている
問題は、賃金が上がったとき、企業がどのように対応するかということです。簡単に言うと、生産性を上げていく必要があります。ただ、生産性という言葉は、誤解を招きやすいので注意が必要です。生産性は二つに分けなければなりません。一つは「実質生産性」で、これが上がることで経済が伸びるという意味で非常に重要です。もう一つは「名目生産性」で、これは物価の上昇分を含みます。仮に、3パーセントの労働賃金の上昇が起こったとすると、3パーセント程度、名目生産性を上げなくてはなりません。そのとき、実質生産性が1.5パーセントしか上がらなくても、残りの1.5パーセントは名目の価格、あるいは価格の上昇があればよいのです。このことが、まさにデフレ脱却の重要なポイントでしょう。
いま現場でどのような議論が行われているかというと、「安かろう、悪かろう」のビジネスがもう限界にきているということです。小売業や外食産業が一番分かりやすいのですが、客単価をいかに上げていくかが問われています。象徴的な例を一つ挙げると、吉野家ホールディングス会長の安部修仁さんとお話ししていた時に話題になったのですが、かつては牛丼280円という低価格を実現するために、どういったオペレーションをするかに話が集中していました。ところが最近は、牛丼を低価格商品として維持しながら、500円を超える「ベジ丼」、600円近くする「麦とろ御膳」、1650円もする「鰻重三枚盛」などのメニューを同時に提供して、客単価を上げていく動きを顕著に見せています。
デフレから脱却していくプロセスとは、そういうことだと思います。乱暴な言い方をすれば、デフレのときは競争力を持つ商品の値段を徹底的に下げ、単品でもよいから売っていくビジネスがうまくいきました。これが、物価が上がるプロセスになると、今までの商品の値段を上げるのではお客さ...