●「陰険保守」では、保守の本分を忘れることになる
---- 次のテーマですが、いま「穏健保守」がすごく少なくなっていて、そういった方の声が上がらなくなってきていると思います。野田さんは、大平さんといいますか、宏池会的な部分をふんだんに持たれていると思うのですが、本来保守グループというのは、「穏健保守」が主流になっていかないといけないし、過激な保守だけではうまく回らないですよね。その「穏健保守」があまりにも弱くなってしまって、声が上がらなくなってきています。これは、戦後政治の中でかなり珍しい局面だと思うのです。岸政権の時よりも、もっとそういう人の声が出なくなってきているということで、今回は、「穏健保守」についてお話いただければと思います。特に大平さんのことについても触れていただければと思います。
野田 私の所属している民主党は、いろいろと多様な人たちがいます。でも、括ると、中道、リベラル、そして私のように保守を標榜している人も少なからずいます。そんな中で、私が目指している保守は、「穏健保守」です。
「穏健保守」とは、要は、国民にとって保守というものが、安心して、落ち着いて穏やかな気持ちで暮らせるような世の中をつくることだと思うのです。ハラハラさせたり、ドギマギさせたりすることではないはずなのです。その意味では、いま行き過ぎてしまっています。もちろん、どんな思想を持っていてもいいのです。僕と同じ思想を持っている人も自民党にいます。でも、「その思想でなければいけない」と、他の人を口汚くののしるほど言ってしまうのは、どうかと思うわけです。
国内で、そういったことがこのあいだもありましたね。NHKの経営委員の人のような。違う人を一刀両断で切って捨てるような言い方、それは他の国に対してもそうではないですか。自分の国のナショナリズムで自分の国だけ都合よく解釈して、他の国のナショナリズムを認めない。そういった多様性を認めないようなところにいってしまうと、本当の保守の本分を忘れることになります。それを偏狭なナショナリズムと言うのでしょうが、僕はもっと分かりやすく「陰険保守」と言っています。「陰険」と「穏健」は、大きく違います。自分の意見をしっかり持っていてもいいのです。ただ他の人を口汚くののしって捨てるようなやり方はよくありません。それをやってしまったら、本当に了見が狭くな...