●被災地の海底へ調査に向かった理由
次に、われわれがどうして志津川あるいは大槌に行ったのか、あるいはロボットたちがどのような成果を上げ、それに基づいて何をしようと考えたか、ということをお話しします。
震災があり津波が起こったときに、海に関するさまざまなことが起き、すべきことが山のようにあると思いました。遠隔操縦機による海底の調査もその一つです。当時私は、東京大学の海洋アライアンスという機構をつくり、横型組織の中で、東京大学として、また海に携わる人間として一体何ができるのかを考え、調査団を派遣したりもしました。もちろん、ロボットに何ができるかということも考えていましたが、先に申しましたようにロジなどのいろいろな状況を考えて、すぐに出て行く状況にはないと思っていたのです。
しかし、大槌には東京大学の施設があります。その周りの海中あるいは海底に関して、できる限りの努力をすることが務めであろう思い、4月の中旬に大槌に行くことを決めました。
●NHKの記者が大鎚での調査に協力してくれた
実はその前にも一度、東京大学海洋アライアンスの調査団として、石巻や気仙沼、大船渡に小型のロボットを持っていき、どういう状況になってるいるのかを調べてきました。問題点をある程度は理解していたのです。ロジは苦しいということは分かっていましたが、そこにはすでに東京大学のグループが入っていたので、彼らとやればきちんとした海上活動ができると考えていました。
そこで、これから大槌へ行って海中活動の調査をするということをTwitterで流したところ、NHKの大庭さんという人から急にファクスが来ました。われわれの調査を取材させてくれないかと言ってきたのです。取材はもちろん結構ですよと言ったら、彼は現場にもうすでに入っており、いろいろと調べてくれました。船は佐々木さんという方が持っていて、それが使える。佐々木さんに協力の約束を取り付けてくれました。また漁業関係では、黒澤さんという方がいろいろと面倒を見てくれる。このように、彼が走り回ってくれました。
この時にNHKさんの能力というか、足の速さをつくづく感じました。NHKの協力を得たのですが、とはいえ分からないことが山のようにあり、テント生活を覚悟で大槌に向かったのです。
●大鎚の人々が寝所や船の面倒を見てくれた
4月末の大槌はこのような具合でした。これは東京大学の研究施設で4階建てですが、この4階まで水が来たのです。ここは山が迫っていたので東大関係者もすぐに逃げることができ、東大としては人的な被害はありませんでしたが、赤浜地区はとてもひどい状況になっていました。
そこへ行って、まずは漁組の黒澤さんに会い、海底の調査を申し出て、佐々木さんの船を貸してもらえるということになりました。さらに、われわれはどこかその辺りにでも泊まろうと考えていたのですが、皆さんが山の中にサケのふ化場の小屋に案内してくれました。小さい小屋で一応はトイレも付いており、電気も来ていました。テント泊まりをせずに、この小屋に泊まらせてもらって、毎日海へ出掛けていくことになりました。その時のチームは私や三井造船、東大の連中でした。これが船長の佐々木さんですが、こちらの2人に船で面倒を見てもらいました。
●南三陸町からロボット学会に調査の要請があった
大鎚に来る前に、実は日本ロボット学会会長である立命館大学の川村貞夫先生から、私宛にメールが来ていました。そこには、南三陸町の町長・佐藤仁さんから、Robin Murphy先生(テキサスA&M大学)と田所諭先生(東北大学)に宛てた要請文が添付されていました。志津川がひどい状況になっており、海底にたくさんの遺体があるからそれをロボットを使って探してくれないかと要請されています。
川村先生に宛てて4月2日にファックスされたもので、私がこれを受け取ったのはもう少し後です。川村先生からなんとかならないかと言われたのですが、私はすぐにはお断りしました。つまり、先ほど申しましたように、ロジができていないところに出掛けていっても成果が上がらないし、海上保安庁と海上自衛隊に現場は任せるべきだと考えていたからです。
●南三陸町での先行調査は失敗だった
われわれはその後、先に大槌に行って調査していました。そうしたところ、田所先生のグループが4月に調査団を組み、またMurphyさんを筆頭にアメリカの人たちがROVを持っていって、志津川の調査をしました。陸上でがれきの上を走り回るロボットも持っていっていました。その成果の発表会が、5月2日に東京大学の一条ホールであり、私も大槌から帰ってきたばかりでしたが、聞きに行きました。
しかし、非常にがっかりしました。MurphyさんたちはROVを志津川に潜らせて、岸壁から少し離れた辺りのがれき...