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キューバとアメリカの国交回復は見直されるのか?

キューバから見る現代史(3)キューバ危機から国交回復

島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授/テンミニッツTV副座長
情報・テキスト
公立大学法人首都大学東京理事長の島田晴雄氏が、アメリカとキューバの国交回復の経緯について解説する。キューバ危機以降、アメリカはキューバと国交を断絶し、経済制裁を加えてきた。近年、経済交流回復の声が高まり、オバマ大統領は2015年、国交回復に踏み切る。しかし、トランプ政権下ではそれが見直されるかもしれない。(全3話中第3話)
時間:10:50
収録日:2017/04/26
追加日:2017/06/26
タグ:
≪全文≫

●キューバ危機を世界は固唾をのんで見守っていた


 次に、キューバ危機の話をしたいと思います。これは、私が大学2年のときに起こった事件です。アメリカは1961年にキューバへの侵攻に失敗しました。1962年に、今度は陸海空の正規軍の大部隊で、再びキューバの制圧を目指したのです。

 当時、CIA長官のもとにとんでもない情報が入ってきました。キューバにソ連製のミサイルが多数、アメリカ本土を向けて設置されている、というのです。極秘情報ですが、やはり国民に言わざるを得ないということで、このことが発表されました。1962年10月22日のことです。しかも、大西洋をカリブ海に向けて、ミサイルを積んだ多くのソ連の艦船が、それこそチェーン状に接近しているということも分かりました。

 これを聞いたジョン・F・ケネディ大統領は、ソ連艦隊の包囲を命令し、アメリカ海軍が出動しました。私は、当時大学2年でしたから、毎日手に汗握りながら、新聞とテレビを見ていました。世界はどうなってしまうんだ、と思ったものです。ソ連艦船が今、目の前から立ち去らないのであれば、アメリカ軍は総力を持って攻撃する。さあどうなるか。その辺り一帯に、核弾頭を積んだミサイルが設置されているわけです。世界は固唾(かたず)をのんで、その瞬間を見守っていました。

 当時、ソ連共産党の第一書記はニキータ・フルシチョフでしたが、彼はアメリカとにらみあった後、10月28日にようやく撤退を命令します。このとき、世界は核戦争の恐怖から解放され、本当にほっとしました。今でも、よく覚えています。


●アメリカと国交断絶するも、奇跡的に持ちこたえてきた


 それ以降、アメリカはキューバと断交し、非常に厳しい経済制裁を続けてきました。アメリカと至近距離にあり、砂糖の輸出をはじめとして、アメリカ経済に深く依存してきたキューバは、1959年以降、56年間も持ちこたえてきたのです。しかも、ソ連の崩壊以降は、ソ連からの援助も絶えていました。これは世界史の奇跡の一つといわざるを得ない、と思います。その間、キューバでの教育や医療は全て無償でした。所得格差も最小限のものです。つまり、キューバは独自の社会主義体制を築いてきたのです。

 アメリカは、キューバと国交を断絶して以来、アメリカの主導で構築した、南米諸国を網羅する米州機構(Organization of American Countries)から、キューバを除名しました。国際関係の上でも、キューバを孤立に追い込み、いじめてきたわけです。

 ところがその後、陸続と南米に反米志向の政権が誕生しました。21世紀に入ると、なんと米州機構がアメリカと距離を置き始めたのです。彼らは、こぞってキューバを迎え入れる決議をしました。つまり、アメリカとキューバをめぐる国際関係が逆転したのです。

 一方、アメリカ国内でも、産業界にとっては、いつまでもキューバと断交していてもメリットがありません。キューバでは砂糖が作られているし、観光地も役に立ちます。アメリカの産業界でも、キューバとの経済交流にメリットがあると主張する声が高まりました。オバマ大統領は、そうした状況の変化があり、またレガシー(遺産)として世界史に名を残したいということも大きかったでしょうが、2015年(7月)、とうとう国交回復に踏み切ったのです。


●日本の戦後史を、熱情を込めて語れる若者がいるか


 ハバナの中心部には、革命博物館があります。1961年の対米戦争に使った戦車や、撃墜された米軍戦闘機の残骸、キューバ革命の志士たちを最初に乗せたクルーザー・グランマ号などが展示されています。ゲリラの戦いの写真もたくさん展示されています。

 私たちのガイドをしてくれたのは若い女性で、日本語がとても上手でしたが、これを説明しているとき、彼女の顔は紅潮し、熱情がこもっていました。私はそれを見ていて、自分の国の直近の歴史を、ここまで熱情を込めて語れるキューバ人の気持ちに、ある種の感銘と羨望を覚えました。

 余談になりますが、日本の戦後の歴史を、涙ながらに熱情を込めて語れる若者がいるでしょうか。日本はアメリカの攻撃によって310万人が死亡し、原爆も2度落とされました。全土が焦土と化したわけです。あの中から世界第2の大国をつくるということ、これは世界史の中でも特筆すべき偉業です。キューバどころではありません。ただ、それが日本では教育されていないため、あるいは、そんなことを言うのは良くないと教える先生方もおられるので、キューバ人のガイドのように自国の歴史を熱く語る光景を見たことがありません。ですから、少しうらやましく思いました。


●キューバの街にはいたるところに歌と踊りがある


 街に繰り出せば、裏通りに庶民の生活が息づいています。どこに行っても酒場やタバンと呼ばれる食堂があり、どこにでも歌と踊...
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