●東京オリンピック招致で流行語になった「おもてなし」
2013年の東京オリンピック招致をきっかけに、「おもてなし」という言葉が、あらためて重要な言葉として多くの人に意識されるようになりました。その「おもてなし」がどんなビジネスモデルなのかを少し考えてみたいと思います。言い換えれば、日本のサービスセクターは「おもてなし」で生き延びることができるかどうかということです。一方にサービスセクターの生産性の低さがあり、もう一方に「おもてなし」がある。これをどう理解したらいいのかを考えるために、東京オリンピック招致で注目された「お・も・て・な・し」のプレゼンテーションを持ち出したのです。
もっとも、東京オリンピックの決定には、おそらく「おもてなし」ということよりも、「東京では落とした現金が年間3千万ドル以上も戻ってくる」というデータのほうがはるかに重要で、東京の安全なインフラをお伝えしたのではないかと思っています。ですが、それはそれとして。
しかし、「なぜ東京オリンピックなのか」ということは、実は一言ではなかなか語れないものがあります。これがイスタンブールの場合、「イスラム圏で最初のオリンピックをやりたい」というメッセージは明快です。それに比べて東京は、先進国、二度目の開催地、あるいは環境、成熟社会におけるオリンピックなど、さまざまな切り口で語られてはいますが、なぜ東京でなくてはならないのかは、いまだにあまりよくわからないところがあります。ただ、プレゼンテーションはなかなか上手であったということです。
●「対価をもらわない親切さ」は日本人だけの特技ではない
「おもてなし」ということを考えるとき、かなりの誤解があると思います。「おもてなし」ができるのは日本人だけではありません。もちろん、海外では「おもてなし」という用語は使いませんが、〝hospitality〟や〝friendship〟や〝kindly〟という言葉があります。つまり、海外にも「おもてなし」同様の対価をもらわない親切さはたくさんあるのです。
一つ具体的な例を申し上げます。私がオーストラリア国立大学(ANU)に半年間在席したときのことです。私を受け入れてくれた学部長は、アメリカの学者が書いたある本の一節を、たまたまお互いそれぞれに担当して執筆しただけの関係であるにもかかわらず、私に大変親切にしてくれました。どのくらい親切だったかというと、例えば夏休みには、ニューサウスウェールズの海岸の上にある彼の別荘を設備・備品ごと全部無料で使ってかまわないと鍵を預けてくれました。また、私がお借りしていた研究室の研究者が海外から戻ってくることになったときに、学部長はアシスタントの部屋に移り、学部長室を私に譲ってくださいました。その後、学部長の娘さんから学部長室に直接電話があり、「あなた、誰?」と言われたこともありました。大変な親切さです。
これと同じことを自分が日本で外国からきた研究者にできるかと言ったら、私には多分できないと思います。この事例からもわかるように、外国に親切な人がいないかといえば、そんなことはありません。
つまり、親切であるかどうかは、国によっても人によっても全く違うのです。もちろん、日本人は平均して親切であるということはおそらく言えるでしょう。
●通常、サービスセクターでの「おもてなし」はマーケットモデル
しかしながら、ビジネスモデルがそこだけに頼れるかと言うと、そうはいかないのではないかと思います。
サービスセクターでは通常、「おもてなし」にコストが支払われます。そのコストはお金で支払います。例えば、飛行機だとファーストクラスやビジネスクラス。それは、別途料金を払ってそのサービスを買っているわけです。これはマーケットモデルです。また例えば高級ホテルや高級旅館のサービスは上質で、世界的に展開するホテル「ザ・リッツ・カールトン」などは海外でも有名ですが、チップではなく、それだけ高いコストを払うからこそ上質なサービスを受けられるのです。これらはビジネスモデルとしては、マーケットモデル、つまり交換のモデルなわけです。
経済にはその他にも、税金で支払われるサービスもあります。あるいは寄付でおこなわれるサービスもあります。NPOやNGO、教会に対する献金などが寄付です。
こうしたことを踏まえて、これらの有償サービスに対して、「おもてなし」を、無償の、つまり「対価を期待しないギフト」と位置づけることはできるだろうと思います。ただ、これを全ての人に期待することは、はたしてビジネスとしてできるのだろうか。これは疑問です。
●必要機能や期待値を入手し得るかどうかも重要
そのことは、通常の料金を払った人が必要な機能を手に取ることができるかどうかということと関係しています。...