皆さん、こんにちは。ご無沙汰しております。今年の夏は例年に比べても暑く、私も本日8月30日で、馬齢を重ねまして70歳の古希を迎えることになりました。そうしたいくつかのことがありまして、ご無沙汰することが多かった次第です。しかし、その間にもいろいろなことを考え、仕事もそれなりにしておりましたので、またいずれそれらについては別の機会にお話ししたいと思います。
●断交の陰には20年前の「父親解任劇」への不信
今日は最新の中東情勢について語ってみたいと思います。あえて題しますと、「2017年湾岸とシリア」というタイトルです。最近最も注目される中東情勢の一つはサウジアラビアとカタールとの断交であり、もう一つは申すまでもなく、シリアのイスラム武装組織IS(イスラム国)が次第次第に退潮に追い込まれていることです。
第一の論点であるカタールとサウジアラビアとの断交は、2017年6月5日に公になりました。しかし、ここには20年以上前に端を発したGCC(湾岸協力機構)参加国間の根深い事情があります。
そもそもは、現在のタミーム首長の父であるハマド前首長が、宮廷クーデターともいうべき政権変革を起こしたことが原因になっています。彼が父のハリーファ元首長に代わって「アミール(首長)」の地位に就いたのです。こうした下剋上、もしくは親を権力から駆逐するということは、サウジアラビアのように王位継承法が厳然と機能しているすこぶる保守的な王国から見ると破格のことであり、サウジアラビアはこの件を快くは思っていませんでした。
クーデターを起こしたハマド前首長は、ハリーファ元首長の全体的なGCC諸国との協調外交や協調的な戦略に反し、独自の地域外交を追求するようになりました。そして、他のGCC諸国、とりわけサウジアラビアとの間の軋轢を深めるに至ったのです。
●湾岸の軋轢を語るアルジャジーラと今回の要求
軋轢を語る例はいくつかありますが、私の考えでは一番大きかったのは「アルジャジーラ」というカタールが設立した国際放送局を通してのサウジアラビア批判が、当のサウジにとっては最も腹に据えかねるものであったかと思われます。
2002年には、度重なる報道を通したサウジアラビア批判に対して、サウジアラビアは大使を召還し、5年間カタールには置かなかったという歴史もありました。
2013年には、ハマド首長から現在のアミール、すなわちタミーム首長に権限が移譲されました。この移譲によりカタールも政策を転換し、外交路線を変化させるのではないかとサウジアラビアは期待したのです。しかしながら、タミームはハマド路線を継承することによって、サウジアラビアの期待を裏切りました。
2017年6月23日になると、サウジアラビア、UAE(アラブ首長国連邦)、バーレーン、エジプトというアラブ4カ国からカタールへの要求項目が13ほど出されました。これにより、断交の背景を察知することができます。
●「イラン、トルコ関係縮小」を望むアラブ諸国
ここで主要事項に触れておきますと、最初に「イランとの外交を縮小せよ」というリクエストが出されました。カタールには、イランの革命防衛隊の関係者がいるのではないか、彼らを通して、近隣のアラブ諸国に対するイランの策動を許しているのではないか、という疑惑が何より大きかったのです。
要望としては、イランとの通商関係をきちんと制限せよということです。すなわちアラブも加わる国際的な対イラン制裁を厳守し、湾岸諸国(地域)の安全保障を損なわない範囲で、イランとの関係にけじめを付けてほしい。これが要望・要求の第一項目です。
第二点として、カタールはこの湾岸地域において戦略的あるいは安全保障的に孤立を深める感がありました。カタールがどこにその脱出口ないし生きる道を見出しているのかというと、トルコの援助です。カタール国内にトルコ軍の基地さえ認めていたことが、近隣のアラブ諸国にとってはやはり面白くありません。なんといっても「非アラブ」であるトルコとの関係を深めているのは、「アラブの統一」という観点からして、すこぶるしゃくに障るということでした。
●「過激派組織との関係断絶」を名指しで要求
もっと大きな問題は、第三点です。ムスリム同胞団あるいはIS(イスラム国)、アルカイダ、シャーム(シリア解放機構。元のヌスラ戦線と呼ばれたスンナ派武装組織)、そしてレバノンのヒズボラなどの組織との関係をカタールは断絶せよ、という要求でした。
これは、なかなかにはっきりと言い切ったものです。なぜ湾岸諸国(カタールでもUAEでもクウェートでも)にテロが起きないのか。なぜそこでは自爆テロが生じていないのかという微妙な問題に踏み込んだからです。
このことに対して、私たち外国人が間接的に分析していたのは、日...