●シリアに見る内戦の文法
皆さん、こんにちは。
シリア、あるいはシリアの内戦におきましては、これまでの世界史のどの内戦にもまして、外国の干渉、外国の存在というのは、古代ローマやスペイン、ましてや日本における南北朝や戊辰戦争といった、そうした内戦と比べて、はるかに重要なものとなっています。シリア情勢の一部は、国内紛争、内戦というよりも、むしろ外部の対立する国々、すなわち、アメリカ、ヨーロッパ対ロシア、あるいは、ロシア、イラン対米欧のブロック、こうしたある種の代理戦争の様相を呈しているかと思います。
イギリスのフィリップ・ハモンド外相の表現を借りますと、彼は英国の外交の責任者でありながら、「欧米の指導者たちは、もはやどちらが善でありどちらが悪であるか、どちらが善であるがゆえに支援するべきかどうかが分からなくなっている」と、このようなことを言ったことがあります。これはわれわれ分析者にとっても、なかなか簡単なことではないわけです。
内戦というのは、最初素朴な意図から始まっても、やがて暴力や衝突がエスカレートし、そして、それが武力衝突から互いの殺し合いに発展する。それが戦いという形を取れば内戦になり、さらにそれが外と結び付けば戦争になるという、誠に痛ましいプロセスを経るのです。言ってしまいますと、そこには内戦のグラマー(文法)とでも言うべきものがあるのです。
●南北戦争にみるリンカーンの正義と狡猾さ
かつて触れたマリウスとスッラ、あるいはカエサルとポンペイウス、このいずれが白でありいずれが黒か、どちらが正義でどちらが不正義なのかというようなことについて、簡単に断定することはできません。大体、カエサルびいきの人が多い、あるいは、マリウスの方がなんとなく善玉っぽい、だからマリウスやカエサルが善だというのは、その個人の主観によるものです。例えば、フランスにおけるカトリックのロイヤリスト(王党軍)と革命派がぶつかったフランス大革命のときのヴァンデの乱。このヴァンデの乱でどちらが正しいのかといっても、これは政治的な立場というものを入れないと、簡単に断言することはできません。
あるいは一番近くの例で、映画なども考えてみればお分かりのように、南北戦争は一体どちらが正しかったのかということです。われわれは、あたかも奴隷解放宣言をしたリンカーンの目を通して南北戦争を見ますから、奴隷解放宣言をしたという、この点において優位性を持つリンカーンの方が正しいと考えがちでありますが、これを南部の方の目から見れば、リンカーンは、産業資本家の利益のために自由貿易主義、保護主義を批判し、自由貿易主義の立場に立って戦争を仕掛けてきました。しかも、リンカーンは、実に類いまれな総指揮官として、市民の間、一番弱い人間たちを屈服させれば戦争は終わるという、非常に巧妙かつ狡猾なテーゼを発見しました。そこで、リンカーンは、職業軍人同士の争いである内戦を、さらに一般の市民、老若男女にまで広げることによって、老若男女の中でも婦女子や老人、子ども、こうした人たちを犠牲者として巻き込み、屈服させたということがありました。
●一元的な見方では捉えられない歴史の善悪
そうすると、こういう戦争をした北軍、あるいはアメリカ合衆国のリンカーン大統領は善だと言えるのかどうかということも問題になります。南軍だけが悪だという、そういう単純な見方は、少なくとも局外者であるわれわれは見るということはできません。戊辰戦争も同じであります。薩長(薩摩藩と長州藩)が正しくて幕府が間違っている、佐幕が誤りであり勤王が正しい、こういう一元的な見方だけでは歴史は捉えられません。
例えば、南北戦争の後にも、カーペットバガーズ(渡り政治家)といいますが、北から南にやってきて南部を食い物にした政治家たちや利益団体者がいます。こうした人間たちの存在を考えたとき、北が正しくて南は常に間違っていると言えるかどうか。あるいは、薩長閥による明治新政府のある面偏った政策を見た時に、幕府という日本の開国を成し遂げ、その開国に反対した薩長たちが最終的には善意の塊のような形で出てくる、こういうような権力闘争の本質というものを見たとき、薩長が正しくて会津や幕府が間違っているなどという見方にくみする人たちは、もはや少ないと思います。
今やそうした点でいうと、ロシア革命で、1917年から1922年まで続いた内戦というものを見たとき、私たちが高校で習った世界史では、コルチャークやデニーキン、ユデニッチやウランゲリといった反動派、言ってしまいますと、帝政派の方が悪であり、革命の勝利者であったレーニンやトロツキーやスターリンの方が正しいということですが、このような見方でよろしいかどうかということです。
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