●今、特に東京で大学が「駅前」に集中し始めている
今日は、「駅前大学の限界」というテーマでお話しいたします。日本の教育や学力の問題、あるいは大学の競争力の問題について、しばしば話題になりますが、今日、私は主として学部レベルの教育についてお話しいたします。大学院についてはまたあらためて論じるつもりです。
「駅前留学」というキャッチコピーの語学学校がありましたが、日本では今、特に東京で、大学が駅前に集中し始めています。これを私は「駅前大学」と呼んでいます。社会人の大学の場合には、特に夜間は「駅前大学」である必要があると思いますが、普通の学部も、郊外にあったものが都心に回帰してきています。
それはなぜなのか。一言で言えば、日本の大学は今、都市インフラを外部経済として使うことで成り立っているのです。都市インフラを外部経済として使えば、例えばホテルも劇場もショッピングセンターも自分で持つ必要がありません。通学が便利な上に、大学の良さということではありませんが、都会の良さ、都会の魅力を享受できます。
●「駅前大学」の対比概念は「寮を持っている大学」
では、この対比概念はいったい何でしょうか。たとえば、アメリカの大学はほとんどが田舎にあるわけですが、「都市」の大学に対比する概念は、「田舎」なのでしょうか。そうではありません。つまり、都心からの距離を、大学の価値を測る基準にすることへの反省を述べているのです。
例えば、オックスフォード大学やケンブリッジ大学は、ロンドンから1時間以上かかるところにありますが、大学の価値がロンドンからの距離で測られているわけではないのです。あるいはイェール大学やプリンストン大学は、ニューヨークから1時間以上、電車や自動車に乗って行かなくてはなりません。ハーバード大学は、ボストンの街中からはそれほど遠くなく、地下鉄で移動できる距離にありますが、ニューヨークやワシントンからは飛行機に乗って行く必要があります。今の日本の大学に近いような都心にある大学と言えば、コロンビア大学やニューヨーク大学のようにマンハッタンの中にある大学なのだろうと思います。しかし、アメリカやイギリスなどの大学がみんなマンハッタンのような都会にあるのかと言えば、そうではないのです。
では、「駅前大学」の対比概念は何かと言えば、「田舎」ということではなく、ここでは「寮を持っている大学」と申し上げたいのです。寮を持っている大学は、日本では防衛大学校くらいしかありません。昔は旧制高校がありましたが。
そこでは、生活を共にするとか、同じ釜の飯を食べるとか、そういったことがありますが、他と大きく違うのは、腰を落ち着けて勉強ができるということだと思います。通学に時間がかかるという問題が日本の大学にはあるわけですが、寮に住めばその通学時間を勉強に割くことができます。朝8時からの授業も可能ですし、夜8時から講演会や映画会を開くこともできます。活動時間が自由になり、催し物が多様になります。雪が降っても電車が止まっても授業を休講にしなくてよい点も、日本の大学とは大違いです。
●レジデンシャルカレッジでは他の学生や教員との接触が密になる
今、私は「寮」と申し上げました。「寮」と言えば、旧制高校のようなイメージがありますが、「寮」という概念よりは「レジデンシャルカレッジ」のほうが近いかもしれません。つまり、そこに住み込んでレジデントとして活動を行うカレッジ、大学の制度のことです。そして、必ずしもそうではないかもしれませんが、具体的にそれはドミトリーのことになります。
レジデントというと、日本では病院にはいますが、大学では普通レジデントとしては使いません。しかし、大学生がレジデントであるかないかということは、非常に重要な点だと思います。これは教員のほうもそうです。そうすると、誰もが寮で24時間の活動を行うわけですから、生活を共にする同級生、先輩・後輩、教員との接触はかなり密なものになります。
また、寮の規模は、学生の入学者数とも関係します。アイビーリーグの中で比較的大きな規模を持つのがハーバード大学です。多分、1学年1600人くらいが入っているのだと思います。全体で6000人から6500人ではないかと思いますが、それは寮の大きさによります。ですから、急に学生を増やすことはできません。一方、日本では、通勤学生ばかりですから、学生が1割、2割増えても何の問題もありません。500人定員の教室に600人も入れてしまったりすれば問題がありますが、その程度です。
寮の生活には、もう一つ重要な点があります。それは、小人数、少人数教育ができるということです。つまり、人数が少ないところで密な接触を図ることができます。それから寮は、僧院から発達した経緯から“room and b...