●いつかくる一瞬のために、「道徳的緊張」を持ち続ける
齋藤 僕の場合、政治家ですから、最後は実践をしていかなければいけないと思うのです。けれども、僕は政界に出たのも遅かったですし、親類縁者に引っ張ってくれる人もいないわけですので、自分でやれることというのは限られると思うのです。
だけれども、一瞬、自分が頑張らなければいけないという局面が、必ずどこかで来るのではないかと思うのです。その一瞬のために、自分を磨き続けたいのです。だから、今年、何か自分を評価してもらおうとか、来年何か評価してもらうとか、そういう意識というのはほとんど、ないのです。そんなことはつまらないと思っている。そうではなくて、やはり何か大きな局面というのが、将来一瞬あると思うのです。その一瞬のために、関係のないと思うような歴史書を読み、関係のないと思うような見聞を広め、しかし、その一瞬で間違えないためにやっていこうかなと考えています。
「自分とは何か」という自己規定ですよね。僕の当選回数とこの現実においては、そんなに大きなことはできない。でも、どこかでやれる、あるいは、やらなくてはいけない局面が来ると思っていて、その一瞬のために、「道徳的緊張」(参照:「教育論~歴史の中のエリートたち(2)「道徳的緊張」を育む規範教育と幼児期読書」)を持ち続ける。それが僕の心境ですね。
―― そうですね。でも、そういう意味では変わっていないですよね。通産省で、エリートコースを歩み続けて、上田清司さんに頼まれて埼玉県の副知事になって、そこから別に衆院選に出なくてもよかったわけですよね。
齋藤 あの頃が人生のピークでしたね。
―― 副知事に行っただけでも、大変だなと思っていましたよ。
齋藤 いい勉強になりましたけどね。そういうのも全て、これから訪れる一瞬のためなのかなと思いますよね。
●人物の評価点は「自分を変えた経験があるか否か」
―― 若い時からエネルギー量が変わっていないから、そういう意味では面白いですよね。それぞれエネルギー量の変わっていない人は、遅い早いは別にして、必ずボンと出てきます。
齋藤 あまり、人間というのは変わらないですよね。だけど、僕が経済通産省で人事をやっていた時に、自分なりのいろいろな判断基準があったのですが、その一つは「実際に自分を変えたことがある人間かどうか」なのです。人間は自分を変えなくてはいけないと思っていても、実際に変えることは難しい。私は3年4か月、食うや食わずの浪人生活で少し変わったと思いますけれど、変わるということはなかなか出来ないですよ。
私が人事でやったのは、少しでも自分を変えた、この人は努力して変えたなということがある人を評価したということです。なぜなら、少しでも変わることができる人間は、大きく変わる可能性がある。だから、自分を変えたか、変えなくてはいけないという努力をしたか、その結果、少しでも変わったかということを、一つの人間を見る基準として、人事をやっていました。少しでも変えることができた人間は、化けるかもしれない。それに、やはり環境を作ってあげなくてはいけないと思ったのです。もう人事の仕事は終わっているから、これは言ってもいいと思うのですけど。
●長かった浪人時代を支えた強い意思
---- 3年4か月の浪人時代というのは、やはり長かったですよね。
齋藤 長かった。半年一年ならまだしもね。定職がないわけで、私のように金持ちでもない、二世でもない三世でもない人間が、定職がないまま、半年一年ならともかく、結果として3年4か月ですから。地べたを這って、駅では死ねとまで言われて、迎えた選挙が自民党大逆風となって。何度死んだと思ったかしれないですよ。
そういう中で、いろいろなところから誘いがあった。そちらに行ったほうが日本のために貢献できるのではないかと思ったし、次に選挙をやったところで、この逆風の中で、当選など出来ないかもしれないとも思った。二回続けて敗れたら、もう拾ってくれる社会もないかもしれないと。どうするかと、普通なら考えますよね。でも、「それでもやる」という強い意思がそこで生まれました。それがなければ、もっとイージーな流れに身を委ねたかもしれません。でも何があっても、「それでもやる」という、何と言うか、決心というか、それが初めて出来ましたね。
だから、あの時落選してよかったのです。でも一回で十分ですけれどね。本当に苦しかった。一番働き盛りの時の3年ぐらいですよ。しかも、他に、ある県や上場企業からも誘いがあったりしましたから。二回選挙に敗れたらきついし。それでも退路を断って踏ん張り続けて、そうしたら自民党が逆風ですからね。最悪だった。もう、死んだと思いましたね。でも、「やる」と決めたのは「道徳的緊張」を...