●刀の材料になる「卸鉄」は、どこからくるのか
質問 和鉄と洋鉄はどう違うのでしょうか。また、和鉄を文化として振興する運動にも携わっていらっしゃるとお聞きしましたが、それについてもお話しください。
松田 今の刀の材料は、明治までにできた鉄であれば、どんな鉄でもいいのです。例えば昔の家には門があり、門扉がありました。それを留めるのにたくさんの鋲が使われています。また、古いノコギリや焼身(ヤキミ)になったような古い刀も材料になります。昔、骨董屋の店頭によく出ていた「種子島」の銃身は最適でした。今では高価になってしまったので、材料にはなりません。
それらの鉄を小割りにしたものを、卸鉄(オロシガネ)と呼びます。鉄は再生の利く材料なのです。ただし、明治以降、溶鉱炉でつくられた鉄は再生がきかず、和鉄にはならないので、古いものを選びます。
私が弟子の頃、姫路城の解体修理がありましたので、その現場から出た和釘をつぶして卸鉄にしました。現在では、解体修理そのものが新しい時代に行われたものですから、材料としてあてにならなくなってきました。
●玉鋼を求めて「日刀保たたら」の復活
松田 材料の玉鋼(タマハガネ)がどうしても欲しい刀鍛冶は、自分でつくれないだろうかと、個人的に自家製鋼を行ったりもしますが、これにはとにかくお金がかかります。
そこで、私の師匠で人間国宝だった宮入行平先生が文化庁に働きかけ、島根県の「たたら」を再現することになりました。戦前に陸軍が「靖国たたら」として軍刀の材料をつくった施設があったので、その跡地を昭和52(1977)年から「日刀保(にっとうほ)たたら」として復活させたのです。
私たちは、そこでできた玉鋼を買って刀をつくっています。(火入れ以来)35年以上、大がかりな修理はなされず、細かい修理をしながら稼働している施設です。
刀鍛冶の使う材料は、炭素量が結構高く良質な部分ですが、「たたら」で一度製鉄を行うと2.5トンの鉄塊ができてしまいます。これを割って、いい部分だけを刀鍛冶が使いますと、残りの炭素量の低い和鉄が在庫の山になってしまいます。
これをなんとか使えないだろうか、という問題が今、持ち上がっています。先ほど姫路城の話をしましたが、古い建造物を修理・復元するときに和鉄製の釘や鋲を使うようにしてもらうと、和鉄の需要は増えるのではないか、と考えているのです。
●和鉄の持つ「さびにくさ」は、時代の折り紙つき
松田 そもそも、なぜ和鉄でなければいけないのか。実は和鉄には、洋鉄に比べて非常にさびにくく、粘りがあるという特徴があるのです。理論上は「今の鉄もさびません」ということになっていますが、洋鉄ができてからまだ200年もたっていないので、実際のところは分からないのです。和鉄の場合、何千年の歴史の中で「さびにくい」という結論が出ているのだから、そちらを使った方がいいわけです。
ましてや古いものの場合はなおさらです。薬師寺を再建する時に、建築家の人は「補強に鉄を使おう」と言い出したけれど、西岡常一という棟梁が「いや。千年の木は千年保ちます」と言って、台湾から大きなヒノキを取り寄せて、全部木造でやると頑張りました。その時の釘も、やはり和釘を使いました。和釘の場合、あのガタガタの形がいいのです。あの形にすると、「締め」が効きます。わざとガタガタにした和釘を打ち込むことで、強度が増すということです。
あの時は製鉄所と提携して、和釘と同じ成分でつくりましたが、本来は「たたら」からできた鉄でないといけません。洋鉄は洋鉄なのです。洋鉄よりも和鉄の方がずっとさびにくいので、それを使ってもらいたいのです。
このように、和鉄をいろいろなところで使ってもらうよう働きかけていますが、お金のかかる話でもあり、なかなか賛同してくれる人は少ないのです。それでも動いてくれている人もいるので、なんとか法律化されることを望んでいるところです。
古い建造物の修理に和鉄を使うのは、実は当たり前の話です。また、そうすれば和鉄の需要も増えるし、私たち刀鍛冶の使う鉄も、もうすこし良質なところが回ってくるようになります。やはり問題は費用です。
●日本の文化を大事にするには、言葉よりも「使う」こと
松田 結局は、国がどれだけ文化に必要性を感じているのか、というところです。今、文化に一番お金を使っているのは中国です。なんだかんだと言いますが、そういうところを国策として行っているところは、やはり見習ってもらいたいのです。
私たちはよく「日本の文化を大事にしましょう」と言うけれども、実際には何をやっているのか、という話です。言葉だけでは、私たちは飯が食えません。「頑張ってください」ではどうしようもないわけで、やはり使ってもらわ...