●小宮山氏がドバイ知識賞を受賞した
新年あけましておめでとうございます。2018年もテンミニッツTVをどうぞよろしくお願いいたします。
私は2017年11月末に、アラブ首長国連邦のドバイ首長国より、ドバイ知識賞(正式名は「2017シェイク・ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム知識賞(Sheikh Mohammed Bin Rashid Al Maktoum Knowledge Award)」)を図らずも受賞しました。この受賞は私にとって大変嬉しいものでした。というのも、ノーベル賞に代表される表彰は一般的に、発明や発見が対象となることが多いのですが、今回の受賞では、「知識の構造化」とそれによるビジョンの提案、そしてそのビジョンに向けた行動が表彰の理由となったからです。つまり、知識に関しての表彰でした。こうしたものが表彰の対象となったのかと、時代の潮目の変化を感じて嬉しく思った次第です。
そこで今回は、この受賞とも関係しますが、現在、知識というものが世の中でどのような状態にあるのか、私の考えを述べたいと思います。
●適切な知識を適切に動員するということは極めて難しい
知識に関して確信を持っていえるのは、適切な知識を適切に使えば、私たちの課題のほとんどは解決できるということです。もちろんノーベル賞は人類の進歩にとって極めて良いことですが、そうしたことがなくても、ほとんどの問題は今までの知識を正しく組み合わせれば解決することができるでしょう。これが知識に関する私の第1の確信です。他方、逆に適切な知識を適切に動員することは極めて難しい。このことが第2の確信です。それは、あまりに知識が増えすぎたからです。
1980年代前半に、社会心理学系のある有名な学術誌に、今から思えばとんでもないというか、興味深い実験結果が報告されました。その実験は、先端的な学術誌を数誌選び、過去3年以内にそれぞれの雑誌で発表された論文を再投稿するというものです。これはある意味で非常に危険な実験です。再投稿などというものは、本来は許されませんから。
実験をしたのは、Stephen Ceci氏(コーネル大学の心理学者)のグループです。再投稿された論文のタイトルを元の論文から少し変え、著者と著者の所属も架空のものに変えました。そうしないと、検索すれば同じ内容の論文だということが簡単に分かってしまうからです。こうして、タイトルと著者、所属にお化粧をして、もう一度同じ論文を投稿したのです。
再投稿された論文は、30数名の査読者が査読します。査読者とは、この論文に新しい価値があるかどうかを評価する人のことで、超一流の研究者が担当します。その結果、30数名いる査読者の中で、論文が再投稿されたものであると見抜いた人は、3名しかいませんでした。残りの査読者は、再投稿されたものだと分からず、新しい論文だとして評価したわけです。
査読は、その論文のテーマに一番詳しいと周りの人が思っている人に委託されます。環境問題というテーマであれば、例えば、小宮山さんという人のところに論文が査読に回ってくるとします。小宮山さんは、その論文が良いか悪いかを判断して、雑誌の編集者に査読結果を返します。この人はこの分野について一番詳しいだろうと思われている人です。つまり、そうした人たちですら、再投稿された論文が過去3年間に最先端の雑誌にすでに投稿されていた論文であるとは見抜けなかったのです。彼らでさえその雑誌の論文を全て読んではいないということです。
この実験はおよそ35年も前の話です。当時から比べれば、現在の知識の量は千倍にも一万倍にも増えています。したがって、一人の人間が正しい知識を正しく動員するということが本当に難しい時代になっているのです。
●すでにある知識を最適に組み合わせてビジョンをつくる
私は、正しい知識を適切な目的のために動員するという知的行為を、「知識の構造化」と名付けました。知識の構造化の具体的な成果物として、1999年に「ビジョン2050」という私の提案を盛り込んだ『地球持続の技術』という本が岩波新書から出版されました。このビジョンには、ノーベル賞のような新しい発明・発見が含まれているわけではありません。このビジョンをつくるのに使った知識は、当時すでにあった知識です。それを最適に組み合わせてビジョンをつくったのでした。これがその後、プラチナ社会の提案になり、そのための活動に今、一生懸命に取り組んでいるところです。
ドバイ知識賞は今回で4年目になりますが、これまでにwww(ワールド・ワイド・ウェブ)、つまりインターネットの創始者であるティム・バーナーズ=リー氏、またウィキペディアの創始者であるジミー・ウェールズ氏、アンドロイド研究の第一人者である大阪大学の石黒浩教授、そしてフィランソロピストのビル・ゲイツ氏(マイクロソフト創...