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「豊かになれば生活が良くなる」というモデルを逆転せよ!

イノベーションがビジネスを生む「創造型需要」

小宮山宏
東京大学第28代総長/株式会社三菱総合研究所 理事長/テンミニッツTV座長
情報・テキスト
「今、日本で求められているのはクオリティーだ」と話す株式会社三菱総合研究所理事長・小宮山宏氏。高度成長期の終焉とともにビジネスのモデルが変わり、時代は飽和型需要から創造型需要へと移っている。では今後、日本はどうすればいいのか。生活の質を上げるイノベーションについて、具体的な提案を交えながら小宮山氏が語る。
≪全文≫

●東京と地方が両立する関係つくりがとても重要


小宮山 日本は、そもそも東京だけでは生きていけないのです。今、東京は人口が増えています。ところが、東京は、特殊出生率が1を割っている区域もある。ともかく、人口を維持するためには2にならないと話にならないのです。けれども、東京は1なのに増えている。なぜかというと、地方で生まれた人たちが東京に来るからです。しかし、地方が疲弊したら、その人たちも来なくなるのです。これは、実はアメリカの構造と同じなのです。

 アメリカは基本的に移民国家で、日本も移民を受け入れるようにと言われていますが、それは結構大変な話で、そんな簡単に大規模化はできないし、少しやるとヨーロッパのイスラム問題のようなことも起こり、単純な話ではないのです。ただ、アメリカは、ある程度うまくやっているのかもしれません。けれども今、世界の大国の中で出生率が2を超えている国は、南アフリカとインドくらいしかないのです。一方、現在、アメリカの移民を支えているのは中国とインドです。けれども、そちらの出生率が落ちてくるわけです。ということは、中国の人は、これからあまりアメリカには行かないでしょう。それから、もともと多かった南米系移民ですが、その南米も出生率がどんどん落ちてきています。南米が多子多産でなくなれば、アメリカに移民が来ないことになるのです。

 この構造でみると、東京と地方の関係とアメリカと途上国の関係はとてもよく似ています。アメリカはアメリカだけで生きていくことはできないし、日本は東京圏だけで生きていくことはできないのです。つまり、どうやって東京が世界とのグローバルな競争力を維持していくかということと、どうやって地方が生き生きと活力を保つかということは相補的で、両者が両立しないとできないのです。ですから、この関係をどうつくるかということがとても重要なのです。今は放っておけば、どんどんと東京に人口が集中するのですから、地方を改革する時代なのです。


●高度成長期が終わり、ビジネスのモデルが逆転した


―― そうですよね。秋田県が人口100万人で、東京の秋田県人会の名簿には110万人いるのです。これが、多分実態だと思うのです。

小宮山 「増田ショック」ですよね。増田寛也(元総務大臣)さんの予測によると、秋田は、大潟村以外消滅するそうです。私は、消滅させてはいけないと思っています。プラチナ構想ネットワークをやったことで、消滅させないためのアクティビティーをやっていく、その策はあると思い始めましたし、そう確信しました。

 一昨日のシンポジウム(編集部注:2015年2月3日開催 第4回日経スマートシティシンポジウム)の話ですが、島根県の海士町では人口1600人、減り続けていた人口がわずかですが増え始めたそうです。島根県の雲南市は、東京23区と大体同じ面積で4万人ですが、そこには、すさまじい思いがありますよね。そして、山形県の最上町、愛知県の豊田市。全く異なる四つの地域だけれども、あの人たちは生き生きと生きていくでしょう。現在、プラチナ構想ネットワークには130の自治体が参加していて、それも1万7000のうちの130ですけれども、私はいま言ったようなことを思い始めたのは、全て最近なのです。

 なぜならば、これまでは、産業革命から、日本の場合でいえば、明治維新からですが、工業化して豊かになろうよということで、方向性は明確でした。当時、工業をやっているのはイギリスやアメリカなど欧米で、日本を含む他の国は工業をやっていなかったのです。ところが、その中で幸いにも日本はあらゆるインフラなどで負けていたわけではないし、ものづくりもやっていたから、「産業革命をやればいいのだ」と大規模化・機械化で一気に追い掛けたわけです。産業革命をやれば豊かになれる、豊かになれば生活が良くなる、とずっとやってきたのです。これは多分正しかったと思います。

 けれども、それが高度経済成長の終焉とともに終わったのです。そこからが遅いのです。1970年代に終わったのです。その次の好景気は、土地の値上がりによるバブルです。ですから、1970年代から低成長に入ったわけです。今の中国は、日本の1965年くらいの状況ですから、中国もあと数年ですよ。そうなったときにどうするのか。それが最初に言い出した「創造型の需要」の話ですし、「プラチナ構想ネットワーク」と言っている話で、つまり、状況が変わったのです。工業化すれば、あるいは、産業をつくれば、生活が良くなると思ってやってきたことが逆転し、この後は、「生活のクオリティーを良くしようとすると、ビジネスが生まれる」というモデルに変わったのです。

―― 生活のクオリティーをよくするとビジネスが生まれるのですね。


●クオリティ...

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