●「中東」という広大な世界の名を持つ本
皆さん、こんにちは。
本日は、私自身の仕事について語ることをお許しください。
私の書いた『中東国際関係史研究』について、いろいろな友人や知人から「購入して読んでいる最中だ」「贈られたが、まだ読んでいない」、あるいは非常に好意的に「読んでいるけれども、どうも自分が理解できない部分がある」等々の声が寄せられています。ありがたいことに、いずれの方々も私の仕事に対して好意を寄せてくださり、同時に励ましの言葉もくださるのです。
そこで今日は、そういう方々のご希望ないし著者へのリクエストに答える形で、この本の内容、あるいは著者は何を語りたかったのかという志などについて、あまり肩がこらないように、お話ししてみたいと思います。
まず、この書物は『中東国際関係史研究』という大きなタイトルを持っています。
もとより中東とは、東はおおよそアフガニスタンやイランから、西はモロッコやアルジェリアまでの広い範囲を指します。考えてみると、これはインド洋から紅海、地中海、太平洋につながっていく広大な世界です。内海で言うと、カスピ海や黒海までが含まれます。概略で申し上げても、北はイスタンブールから南はスーダンのハルトゥームまで。東は海に面したバスラやオマーンのマスカットから、西はモロッコのファースやあるいはタンジールまで。
私は、このような広大な地域についての歴史や国際関係を一つの本でまとめるというような、大それたことを考えたわけではありません。
●現代の中東問題の源には、二つの帝国の崩壊がある
何事においても、物事を理解するときには構図をつかまえることが大事です。特に歴史においては、ある一定の限られた地域と時間をピックアップして、問題を整理するという手法が採られます。
私は現代の中東の複雑さ、すなわちウクライナの問題やグルジアとロシアの対立関係・戦争などを展望できる時間と空間を探しました。
イラクでは今、事実上の内戦が勃発しており、スンニ派武装勢力に占領された地域としてモースルの名が出ています。この地域はオスマン帝国の領土にあり、1923年のローザンヌ条約締結以降イラクに帰属(イギリスが領有)しましたが、それをトルコが認めるまでには紆余曲折がありました。これは現在のイラク情勢を考える上で極めて大事な点ですが、ほとんどの観察者も私たちも、モースルの特殊な位置づけに触れることはありません。
私は、現代に起きているウクライナやコーカサス、グルジア、あるいはモースルすなわちイラクの問題を、帝国の崩壊と解体の過程において生じた問題だと理解しています。
帝国の解体は、まさに今年100年を迎える、1914年に起きた第一次世界大戦が大きなキーになります。この第一次世界大戦によってロシア革命が生じ、また敗戦によってトルコは国が消滅する危機に追い込まれます。二つの帝国は、その後のロシア革命によってソ連邦になり、トルコ革命によってトルコ共和国になっていく。その間、多くの地域がかつての帝国から分離していくことになりました。
●中東政治・経済の出発点は、1918~1923
こういう模様を観測する一定の時間を、私は1918年から1923年という重要な時期に限りました。
1918年は、第一次世界大戦終結の年であり、新しい秩序の構築が目指された年です。そして1923年は、ローザンヌ条約によりオスマン帝国解体後の秩序をトルコ共和国が継承し、アラブ地域が欧米主導で分割されるという決定が、法的決着をみた年です。
つまり、現代の中東政治や経済への直接の出発点となったのが、1918年から1923年という時期です。この時期に、黒海を隔てて存在し、ウクライナとも重要な関係を持つトルコとロシアは、どのような形で結びつき、相互に協力し合うようになっていったのか。またそれは、現在のウクライナ情勢へどうつながるのか。
そのようなことについて考えることになる書物、それがこの『中東国際関係史研究』、副題「トルコ革命とソビエト・ロシア」という本なのです。
●政治史と革命史の結合で、成立と変容の歴史を同時に見る
この本は、二つの意味を持っています。
第一に、この書物の採った方法があります。ここで私は、現代中東の成立と変容の性格を議論しています。また、ソ連邦の統合していくプロセスを見るときには、その成立と分解の予兆をともに照射し、1991年12月にソ連邦が解体していく遠因を考えようとしています。
このような目的を達成するための第一の方法として私が採ったのは、政治史と革命史を結合することです。中東、ロシア、コーカサスにまたがって政治的な事象として立ち現れた世界史の現象を、これらの地域で格別...