●今の日本人は、「お米」を買っていない
今回は、少し奇妙なタイトルですが、〝あなたは「お米」を食べていますか?〟というタイトルでお話しします。もちろん、実際にお米を食べているかどうかが問題なのではありません。ここで問題にしたいのは、皆さんは、「お米」や「日本酒」などの一般名詞で物を買ったり食べたりしていないのではないか、ということです。
ここ2、30年の間に、日本は日英の交渉などでの外圧があり、ウイスキーなどの酒税率を下げ、特級・一級・二級という分類も改正されました。その外圧がきっかけとなり、日本酒も特級・一級・二級という級別分類が廃止されました。そのおかげで、さまざまな銘柄の純米酒や大吟醸が出てきて、「日本酒はおいしくなったでしょう」と、何年か前にイギリス大使館の人に言われたことがあります。確かに、最近の日本酒はおいしくなりました。
お米も昔は配給でしたから、日本米と外米の区別しかありませんでしたが、多分皆さん、今はそのような区別ではお米を買っていないでしょう。例えば、コシヒカリでも魚沼産かどうかをチェックするはずです。また、北海道米はかつて安いお米の代表でしたが、最近は味の良いものが出てきて、「ゆめぴりか」や「ななつぼし」などのブランドを確立しています。ですから、「お米」という抽象的なものを買ったり食べたりしている人は少ないのではないかと思います。同様に、「日本酒」というお酒を飲んでいる人も少ないでしょう。
●〝Ordinary Beer〟などというビールはない
もう何十年も前の話ですが、知り合いと一緒にアメリカでレストランに行きました。その方は長くアメリカに留学していたのですが、ビールを注文する時に〝Beer〟と言ったら、何のビールかを店員から聞かれたので、〝Ordinary Beer〟と言ったのです。
〝Ordinary Beer〟は日本語に訳すと「普通のビール」ということになりますが、そんなものはありませんから店員は驚きました。日本なら「とりあえずビール」とか「生ビール」などで通じるでしょうが、アメリカでは必ずハイネケンやサミュエルアダムズなどの銘柄を言わないと、注文は通らないのです。長くアメリカに留学している人が〝Ordinary Beer〟などと言うのを聞いて、私も驚きました。それでも〝House Beer〟と言えばおそらく通じただろうとは思いますが、〝Ordinary Beer〟では通じません。
本来、〝Ordinary Beer〟や〝Ordinary Wine〟はどこにもありません。コーヒーを注文するときに、クリームを付けて欲しい、砂糖を入れて欲しいとこと細かに言わないとならないのと同じで、おそらく農産物にも詳細な注文が必要なのです。
●値段の高いワインは、ある意味で芸術品
そのような農産物の代表がワインです。ワインは、希少性やブランドなどによって1本数百円、数千円のものから100万円を超えるものまで値段の幅があります。特に価格差が大きいのが、ブルゴーニュのワインです。ブルゴーニュの土地の中でも、村の名、ワイナリーの名、そして作り手の名によって価格が大きく変わります。同じワイナリーでも、先代が作っていた時と弟子が作っている時では評価が違います。その弟子が息子か養子かでも変わることがあります。さらに何年物なのか、保存状態がどうだったのかも問われますから、価格の決定は非常に複雑で、ラベルの見方はとても難しいのです。
値段の高いワインは、ある意味で芸術品であり、100万円の高価な絵のようなものです。しかし、絵といっても、一点物の絵画というよりは、むしろアンディ・ウォーホルのシルクスクリーンなどに近く、同じものが何ケースかできるわけですが、例えばロマネ・コンティは1.5ヘクタールほどの小さな畑からしか作られないわけですから、いずれにしても希少であることは間違いありません。
一点物というよりは何点か作って、それを芸術作品として世に出しているという意味では、日本の和牛なども状況は同じでしょう。農業には大量生産のビジネスがある一方で、肉・ワイン・お米・日本酒のように個性が強く、特定のブランドが競争しているものもあります。そのような領域で考えれば、誰も「お米」という名前のものを買っていませんし、「お米」や「日本酒」といった形では飲食していません。その流れは、究極的にはブルゴーニュワインのようなところに行き着くと思います。