●これまで3回繰り返されてきた「湾岸戦争」
皆さん、こんにちは、今日は20世紀と21世紀の湾岸戦争というタイトルでお話ししてみたいと思います。
なぜ、安倍総理はこのタイミングでイランにでかけたのか。なぜ、日本は中東において積極的な、いわば外国から「調停」と呼ばれている役割を果たすことになったのか。そして何よりも、歴代大統領と国務長官はすこぶる日本のイラン政策に対して冷淡であり、批判的であったにもかかわらず、トランプ大統領は、今回はそれを認めたのか。むしろ依頼したのか。
こうした問題について、多くの謎が残っております。
簡単にいえば、日本は20世紀と21世紀のいわゆる湾岸戦争の試練を越えて、一貫して、イランに対しても、ほかの中東関係国に対しても、基本的に友好を維持してきた、世界においても稀有(けう)の国家であるというのが、その理由の一つかと思われます。
これまで中東においては、比喩的に申しますと、3回の湾岸戦争が繰り返されてきました。
「第1次湾岸戦争」は、1980年から1988年に至るまで、いわゆる「イラン・イラク戦争」と呼ばれるものでありました。これは歴史上、初めて長距離ミサイルが戦場で使われた戦争として、中東だけではなく、世界史においても稀有の衝突でした。かつ、イラクはこの際、イランの兵員に対して、初めて化学兵器を使用したという歴史的な事実があります。
この「イラン・イラク戦争」は、それが8年ほどにも及ぶことによって、周囲の困惑を増大し、かつ、日本のような両国に対して友好的な国々の、いわば焦燥感・イライラ感を募らせました。そこで「イラン・イラク戦争」を略して「イライラ戦争」という名称で呼ばれていたことは、ご案内かと思います。
しかし、これは大きな歴史のパースペクティブにおいて位置づけるならば、その後に続くことになる湾岸の二つの戦争の戦訓であったといえるかと思います。
私たちが普通呼んでいる「湾岸戦争」は1991年の戦争です。これは「第2次湾岸戦争」と歴史的には位置づけて然るべきかと思われます。すなわち、巡航ミサイル、パーシングミサイルが使われ、対するにスカッドの改良型ミサイルがイラクによって使われるという事態になりました。
特に、のちの「イラク戦争」(2003年)と比べた場合に、1991年の「湾岸戦争」が異なるのは、イラク経済政策など国連安保理決議(661号と呼ばれているもの)の延長にある「多国籍軍」の戦争であったということです。そのイニシアチブはアメリカ、ひいてはイギリスの米英両国が取ろうとも、基本的には国連決議に基づく制裁戦争でありました。
ところが2003年の「イラク戦争」――「第3次湾岸戦争」とでも位置づけられるものですが――この戦争は、いわゆる9・11事件におけるアメリカに対する同時多発テロへの報復として、その根拠が疑わしいと国際世論が批判し、かつ疑惑を持ちながらも、アメリカは「イラクに大量破壊兵器が貯蔵され、かつ同時多発テロとサダム・フセインとの関係が疑わしい」という根拠から、国連において決議を取ることなく、いわゆるコアリション(有志連合)によって行なわれました。すなわちアメリカ、イギリス、オーストラリア、部分的ではありますがポーランドなどの国々がコアリションを組んで行なった戦争です。日本はこのとき、「ブッシュ大統領の決意に関して理解し、かつ支持する」という形で、国連決議とは無関係に、ブッシュ(子)大統領を支持する立場を取ったということは、ご記憶に新しいかと思います。
●誰かが戦争を望んでいるのか?
いま私たちが問題にしたいのは、これらの戦争の延長で位置づけた場合に、「第4次湾岸戦争」は起こるのか、という命題であります。すなわち、「2019年夏に第4次湾岸戦争はあるのか」という問いかけが、いわば可能かと思われます。
それというのも、2019年の春にアメリカのボルトン国家安全保障担当大統領補佐官の積極的な発議によって、アメリカは航空母艦を湾岸に派遣しました。そしてイランに対して、徹底した制裁の延長として、「最大限の圧力」そして「攻撃的な封じ込め」という言葉を使って、イランに対する対決姿勢を明白にしたからです。5月5日に、エイブラハム・リンカーンという航空母艦を中心とした打撃軍(タスクフォース=機動部隊)を中東に派遣し、イランを牽制(けんせい)することをボルトン補佐官は公言したのでありますが、これによってアメリカは、一種の危険なゲームに入ったかのように思われます。
もちろん、イランもまたアメリカに対して譲ることなく、ペルシャ湾岸の全面封鎖。あるいは「アメリカに対する攻撃も辞さない」といった発言をしていたということでありますし、それに前後して、レバノン、シリアにおいて、イラン革命防衛隊(IRGC)はイスラエルを...