●プロフェッショナルスクールではないのがリベラルアーツである
―― では質疑応答に入りたいと思います。頂いた質問のうち、今回のシリ―ズのお話に関連しなかったものについて、おうかがいしたいと思います。
今回は、『現代のリベラルアーツとは何か:よりよく生きるための「知の力」』の出版記念の講演会でもありました。そのため、比較的リベラルアーツについてのご質問も頂いております。これについて両先生にお聞きしたいと思います。初めに、お孫さんがアメリカのリベラルアーツカレッジ(ポモナ・カレッジ)を卒業し、これからハーバードのロースクールに進まれるという方から、そのお孫さんのための質問です。
「リベラルアーツカレッジというアメリカ的なものには、どのような意義があるのか、ぜひ教えてください」
これについて、曽根先生、どのようにお考えでいらっしゃいますでしょうか。
曽根 リベラルアーツカレッジを卒業してから、ロースクールやメディカルスクール、ビジネススクールのようなプロフェッショナルスクールへ行くのは、非常に標準的です。しかもポモナ・カレッジは、西海岸で特別優秀なリベラルアーツカレッジなので、そこを卒業してハーバードのロースクールに進むという選択肢は、アメリカ人もうらやむ道だと思います。
そうすると、ここで1つはっきりするのは、プロフェッショナルスクールではないのがリベラルアーツであるということです。では「リベラルアーツ」とは何なのでしょうか。日本だと、よく旧制高校を引き合いに出して、「デカンショのことだ」という人がいます。しかしそれは、リベラルアーツのごくごく一部分です。つまり、リベラルアーツとは、学問体系の初級を教えるということではなく、まず大学に入って頭を柔らかくして、ものの考え方、つまり質問の立て方や答え方を学び取ろうということです。
●問いの見つけ方、答えの探し方を学ぶ
曽根 そこで一番重要なのは、質問が出せるか、答えをどうやって組み立てるか、ということです。その際に必要であれば、いろいろな学問成果を利用することになります。
また、大きな誤解は、ものを考えて、ある問題にたどり着くためには常に学問の初級、中級、上級にまで上り詰めなければならないという考えです。しかし例えば、中国問題は非常に重要ですが、私は中国の専門家ではありません。だから、中国の専門家の人の意見を聞いたり、新型コロナウイルスについて専門の雑誌などを読んだりしています。また、医療に関しては若干知識がありますが、臨床はまったく関係ありませんので、これも専門ではありません。つまり、人の意見を聞く、人の意見をうまく吸収するという柔軟性が、実はリベラルアーツカレッジの本質なのです。
だからリベラルアーツは、特定の職種の技能を集中的に勉強する大学院大学とは異なります。ロースクールは、法律の職人です。メディカルスクールは、医者になるための技能を学ぶところです。ですから、技能ではなく、ものの考え方や問いかけ方、発想の仕方を学ぶのが、リベラルアーツです。
その意味では、ご質問なさった方のお話は、考えるリベラルアーツからプロフェッショナルスクールへ行くという、アメリカでの理想的なコースをたどっていると思います。だから、アメリカ人に聞くと、おそらく99パーセントの人がうらやましいと答えるのではないでしょうか。
●少なくなった大学の「一般教養」
―― 今の質問に関連しまして、これはテンミニッツTVをやっている私どももぜひお聞きしたいことがあります。
「リベラルアーツと、一般的にいわれている『教養』との違いがよく分かりません」
というご質問です。最近、リベラルアーツという言葉でよく使われますが、昔は「教養主義」とよくいわれており、日本では「教養」という言葉がよく聞かれました。今のご質問に続けて、この違いを曽根先生にぜひお聞きしたいのですが、いかがでしょうか。
曽根 第1に、旧制高校の第一高等学校が東大の教養学部になりました。旧制高校と新制大学の教養学部は同じだったのです。これはヒストリーで、過去の話です。
第2に、われわれが学生の頃、一般の人たちや大学生には、「一般教養」という科目はものすごくバカにされていまいた。「パンキョウ」と呼ばれ、バカにされていたのです。なぜ馬鹿にされていたかというと、一般教養の授業よりも、予備校の講師の授業のほうが優れていたからです。ですから、大学に入学し、1年生の時に世界史を習っても、あるいは物理を習っても、眠くてしょうがありませんでした。それでも単位が必要だから履修する、という時代でした。
第3に、転換点として、一般教養の科目をできるだけ少なくして、1年生から専門科目を教えようという流れがありました。ただ、東京大学は教養...
(テンミニッツTV編集)