●膨大な知識も「軸」で分ければ怖くない
―― それでは、また次の質問にまいります。これは、長谷川先生が以前の講義(〈「今、ここ」からの飛躍のための教養〉)で話された「知識の構造化」──先ほど小宮山先生も触れられました──をより深掘りして、具体的にはどのようにすればいいのですか、という質問です。あの講義を振り返っていただくと、いろいろな話(情報)が来たときに(どうすればいいのでしょうか)。
長谷川 (インプットした)知識が自分の中でちゃんと整理されるためには、単なる断片的な呪文としていっぱいガラクタが入っているという状態では駄目でしょうというのが、まず言いたかったことです。
断片的情報は今、本当に検索などで簡単かつ山のように入るようになりましたが、それらを自分の中で本当に知識にするためには、いくつかの軸が必要ではないか。その軸はいろいろと、たくさんあると思います。
例えば、「役に立つ」ということを(軸に)取るにしても、何が役に立つといえるのかについて、たくさん「役に立つ軸」があると思います。それから、そのことは世の中についてのことなのか、自然の物体についてのことなのかなど、軸はいっぱいあります。
このように、なんらかの形で軸の中に知識の断片を落とし込み、おさめていく。そうすると、いくつも軸があるから立方体とはいえないだろうけれども、大きな塊になってきます。すると、その中の「ここにこういう情報がある」「そこにそういう情報がある」ということで、関係ないと思っていた情報同士がパッとつながったりして、新しい地平線が開けるようなことがあります。
そういうこととして自分の中で生きた知識にしないと、なかなか使いものにならない。それではガラクタが集まっているだけではないか。そういうイメージを言いたかったわけです。
私がそのことを最初に思いついたのは、高校の生物学の教科書の編集に関わった時です。物理などと違って生物では、山のように事実が出てくるため、暗記科目だといわれ、みんなに敬遠されます。確かに読んでみると、葉緑体の中のなんとか構造などの記述でいっぱいで、「なに、これ?」と思うのです。
私が考えたのは、「でも、生物というのはたぶん立方体で書ける」ということでした。例えば1辺は、何の種類かということ。人間か、猿か、魚か、ばい菌かという「種」の軸です。次の1...