●ケンブリッジ大学のハイテーブルで感じた教養に必要なもの
―― そこでいうと、教養がある人とない人の違いといいますか、それがどういうところに表れるか、ということになると思います。
これもご質問ですが、「教養がある人とない人はどのような差が生まれてくるのでしょうか」ということで、ぜひ具体的なエピソードをいただきたいと思います。
長谷川先生は前回のテンミニッツTVの講座の中では、ケンブリッジ大学に行かれた時の、いろいろな専門の先生方が集まる食事会のことを取り上げられました。これは具体的にいうと、どういうイメージの会なのでしょうか。
長谷川 それは、ケンブリッジ大学やオックスフォード大学のハイテーブルについてですね。それらは大学というよりカレッジで、そこに所属している人たちがみな定期的に、一斉に夕食を食べます。そのとき、隣に誰が来るか、どのテーブルで誰と一緒になるかは分からないのです。
分からないから、隣にはイタリア文学が専門の人が来るかもしれないし、その正面には量子力学(の研究者)がいるかもしれないし、経済学者がいるかもしれないし、音楽関係の人がいるかもしれない。そういうところで、楽しくおしゃべりをしながら、2時間ぐらい食べなければいけない。
その場の誰もが何もかも知っているというわけではもちろんありません。しかし、どういう質問をすると面白くなるか、どういう反応をするとみながもっと興味を持って楽しく食事できるか。ということを、みなずっと心の隅で考えながら、いろいろなことを言うわけです。
それも決して自分の持っている知識をひけらかしているわけではありません。前回(小宮山)先生がおっしゃった、「本質を捉える知」や「他者を感じる力」というものを総動員して、自分の専門ではないことをやっている人たちは何が面白くてそれをやっているのか、その分野ではどういうアプローチによって何が分かると思っているかなど、お互いにそういうことを想像しながら、こちらの持っている知識も少し交えながら面白い話をするのです。
そういうことができる人というのは確かに教養がある人だと、私は思います。
―― 例えば、本屋さんに行くと「質問力」とか「質問できる力」のようなタイトルがありますが、たぶんそういうノウハウではなく、あるいはノウハウだけを知っていても、いい質問はできないと思い...