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「リベラル・アーツ」と「自由」の関係を歴史的に振り返る

「教養とは何か」を考えてみよう(9)リベラル・アーツと脱我

情報・テキスト
「本来のわたし」とは、どこまでを指すのだろうか。対外的に意味をなすための名前も地位も「わたし」を守るための鎧だとすると、わたしは鎧に奪われてはいないだろうか。その鎧を捨てたり抜け出したりして自由になるためには「勇気」が必要だ。それもまた、教養の一つの定義なのだろうか。ここではさらに「自由」というキーワードにも関係する「リベラル・アーツ」について、歴史的に振り返ってみたい。(全15話中第9話)
時間:13:13
収録日:2020/10/26
追加日:2021/06/22
≪全文≫

●鎧に奪われた「本来のわたし」を取り戻す


五十嵐 外側にいろんな外敵がいて、そこからわたしという身体やわたしという領域を守るんじゃなくて、「本来のわたし」というか、「本来のわたし」を宿しているわたしは弱いから、外で生きていくために、いろんな鎧や服、名前や地位やお金というのをまとわないと、生きていけない。

 だけど、それは本当は「わたし」ではない。本当はわたしではないのに、そのことを忘れてしまって、周りにある鎧や何かがわたしだと思っている。だから、わたしはわたしじゃなくて鎧として生きているのに、もうそれを忘れてしまっている。

 そこで、わたしはもう鎧にわたしを奪われているというか、わたしがわたしを勝手に失っちゃっているのが通常のわたしの在り方なんじゃないか。そう思ったときに、わたしを守るとはどういうことかというと、やっぱり“politior”というか。周りのものというのは、わたしが必要だと思うからこそ身につけてきたものなんだけど、わたしが自分で獲得して身につけている対外的なもの──外から認めてもらえるための印や鎧や「キラキラ」──を、わたしが「捨てていく」という言い方は違うんだけど、そこからわたしがどう出ていけるか。どうやって「わたし」を獲得していけるかということ、そのことを「教養」というんじゃないか。そう思うと、教養とは身につけるものじゃなくて、身についていくもの。別の言い方をすると、教養というのはある意味で「勇気」というか。

津崎 そうだよねえ。「勇気」、なるほど。身につけるという発想は、どうしても買ってきたりした出来合いのものがそこにある感じなんだけど、結果として身についたという感じなんだね。


●わたしが存在するのは存在する意味があるから


津崎 結果として教養を身につけるための条件は一体何かといったら、それは勇気を持って自分を獲得する、取り戻す、見つける、ということ?

五十嵐 うん。前回の「規矩」というのは、結局「規矩を身につける」ということだと思っていて、それにはわたしであるしかない。どうしてかというと、「わたしである」しか目の前のその人と出会うことができないから。

 だって、わたしが生まれてきたということは、わたしが生まれる必然性があったということだから。ほら、鎧だらけ、キラキラだらけで生きていたら、わたしじゃない。

津崎 そうそう、わたしが生まれる必然性、それをライプニッツは「充足理由律」と名付けて、「この世の中に存在するのは、存在する意味があるからだ」と言っている。

五十嵐 へえー、そうか。そう思う。だって、わたしは存在しているのに存在していないことになるから。鎧しか存在していなかったら悲しい。だから、わたしが存在する意味というのは、わたしが存在してみようと思うことのなかにしかない。そうすることは、対外的に自分が必要だと思っているいろんな飾りを、捨てることはできなくても、そこから出て、相手のほうに行くしかないことだから。

津崎 うん。でも、確認したいんだけど、その「わたし」というのはスタティック(静態的)なものではないわけでしょ? わたしというのはダイナミック(動態的)なものなんだよね。

五十嵐 魂。

津崎 “cultura animi”、つまり“anima”(アニマ:ラテン語で生命や魂を指す言葉)が常に耕されていって、動態的なものであると。

五十嵐 そうそう。そういう魂を守ることが自分を守ることなんじゃないか。


●「リベラル・アーツ」を歴史的に振り返ってみる


津崎 その守りというのは、対外的な記号や役職や社会的な文脈ではなくて……。

五十嵐 アイデンティティね。自分のアイデンティティから自由になるということかなと。

津崎 うん。今日は「自由」というキーワードが何回か出てきているので、教養ということを話すときによく言われる「リベラル・アーツ」というのを少し歴史的に振り返ってみたいんだけど。

 僕らの属する大学は、歴史的には12世紀にできたと言われている。ボローニャとパリに同時多発的にできたんだけど、そもそもラテン語の「ウニウェルシタス(universitas)」はどういう意味か知っている?

五十嵐 知らない。

津崎 「組合」という意味。なぜかというと、一方のボローニャのほうは、ヨーロッパ中からいろんな人たちが留学生として集まってくるでしょう。そうすると、下宿とかしないといけなくて、宿の家主と家賃の交渉をするのに、一人よりは多数のほうがいいじゃないかということで、学生たちが組合を作っていくんだよね。それが元になって、ボローニャでああいう大学ができた。

 パリの場合はむしろ先...
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