●アーレントが『人間の条件』で提示した「多様であること」とは何か
五十嵐 わたしは前回のヘーゲルの話を聞いていて、それは「自力」っぽいなと思って。例えば……。
津崎 「自力」は自分の力ということだね。うん。
五十嵐 そうそう。例えば、ヘーゲルが「自分を普遍だと思ってはいけない」という。それは本当にそうなんだと思う。「自分を高めていかなければいけない」「普遍だと思ってはいけない」のは本当にそうだと思うんだけど、「高めていかなければいけない」というのはどうなのかな、と。
津崎 それはヘーゲルに対して、だね。
五十嵐 そうそう。例えば、ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)が「政治」ということについて言っていて。前回「人間という条件」について話したと思うけど。
津崎 モンテーニュの話だね。
五十嵐 そう。アーレントが『人間の条件』を書いているから思い出したんだけど。あの本のなかでは……。
津崎 ほら、教養(笑)。
五十嵐 そう。でもほら、アーレントが教えてくれたから。
津崎 なるほど。
五十嵐 アーレントが「政治というのは多様であることだ」と言っていた。でも、政治というと、わたしたちは普通「組織をどう動かすか」みたいに考えがちでしょ。
津崎 うん。
五十嵐 一つの組織があって、それをどううまく動かせるかというのが政治だと考えがちなんだけど、そうじゃない。では政治は何かというと、「多様であることだ」と言っている。多様であるとは何かというと、自分とは違う他者がいるということ。言い方を変えると、「他者は自分とは違う存在である」ということ。
また別の言い方をすると、前回「生む」という言葉が出たんだけど、わたしとは違う生まれ方をしている相手がいるということ。だから、どんな人と会っていても「わたしはまだ知らない」と思わないといけない。どうしてかというと、事実問題として違うから。今日もこうしてマイクとお話をするのが楽しいのは、「知らない」からなの。
わたしが「知らない」と思えるから、楽しい。もしわたしが「知っている」と思ったら、その瞬間にマイクはわたしにとってはもう一つの「知識」になってしまって、今会って楽しい、「知りたい」人ではなくなってしまう。そういうふうに思うと、ヘーゲルが言った、「どんどん自分を高めていかなければいけない」ということではなく……。
津崎 普遍性に向かって、ね。
五十嵐 そうそう。ただ、目の前にいるまだ「知らない」人。すべての人がまだ「知らない」んだけど──だって自分のこともまだ「知らない」しね──、そういうまだ「知らない」人と、その都度、毎日会っているわけでしょ。昨日まで毎日ずっと一緒にいたとしても、ほんとはまだ「知らない」と思うと、「会うこと」がわたしを開いていくというか。
津崎 うんうん。
五十嵐 もしわたしが「普遍」なら、それはもう全部分かっているということだから。「はい、マイクは、こう」「はい、誰それさんは、こう」みたいになる。そう思わないのは、わたしが自分を普遍にしないということ。だから、わたしは頑張らなくても高まっていく、広がっていくことができる。どうしてかというと、まだこの狭いわたしが、まだ会っていないあなたと会うことができるから。
津崎 そう。だからヘーゲルも「普遍になっちゃいけない」というわけじゃない? そうなると独善になるからね。
●未完成で未決状態に心地よさを感じられる人
津崎 いくつか出てきたキーワードのなかで、まず僕にガツンときたのは、「永遠に決まらない」というか「永遠に終わらない」ということ。
五十嵐 そうそう。
津崎 「永遠の未決性」。これ、居心地悪いよね。
五十嵐 うん。
津崎 普通の人というか。「普通」という言い方はちょっとおかしいけど。
五十嵐 分かる、分かる。
津崎 でも、イマジニアのこの番組を見ようとしている人は、申し訳ないけれども、もう普通じゃないですよ(笑)。だって哲学に関心があるという時点で、もう……申し訳ないんだけど。
五十嵐 ありがとうございます。
津崎 ありがたいことなんだけど、残念なことにもう「普通」じゃありません。
と一応前置きした上で、決して蔑称ではないんだけれども、ごく普通に日常生活を歩んでいる人たちにとって、何かが「決まらない」「終わらない」というのは、ちょっと居心地が悪いところがあると思うんだよね。
五十嵐 そうそう。
津崎 今のさっちゃんの話を聞いていて浮かんできたのは、ここまで教養のリストみたいなものを作ってきたところに、もう一つ付け加えられることでね。つまり、「今ある自分の置かれた状態が最終形態ではない」ことを心地よいと思えること。それは、...