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デカルトはなぜ「学ぶ人は一人にしては駄目」と言ったのか

「教養とは何か」を考えてみよう(14)【深掘り編】身につけるか、身から引き離すか

概要・テキスト
キーボードを意識しなくなるほどパソコンに習熟すれば、パソコンから自由になれる。また一方で、身につけた知識の鎧を脱いでこそ、本当の自分を磨き上げていくことができる。教養を身につけていくプロセスで一見矛盾するように思える二つは、どのように考えればいいのだろう。質疑応答編その2。(全15話中第14話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:10:23
収録日:2020/10/26
追加日:2021/07/27
≪全文≫

●「学ぶ人は一人にしておいては駄目だ」


―― では、次の質問に進みます。

 今日のお話の冒頭で「教養とは何か」といったときに、一つは、パソコンのキーボードのお話がありました。自分がキーボードを打っているという意識がなくなるぐらいに通じれば、それで自由になれる。例えば書き味のいいペンのように何の抵抗もなくすらすら書けると、本当に自由にそれを意識しないで書ける。そこまでいくのが、一つの教養であろうというお話でした。一方、後半では、身につけた知識の「鎧」のようなものを脱いで、本当の自分を磨き上げていくという議論もありました。

 では、学ぶ側からすると、どうやって学べばいいか。キーボードを打ちこなせるぐらい(練習すればいいのか)。例えばルソーならルソーをずっと読んでいくと、ルソーについてはある程度どんな質問が来ても、もう全部答えられるようになりましたというのが、もしかしたらキーボードで自由に打てるという状況かもしれないですよね。では、それが「鎧」になってしまうのはどういうときで、それを脱ぐというのはどういうことなのか。学びにおいては、どういう意識をすべきか。そのあたりについて、どのようにお考えでしょうか。

津崎 1628年頃、デカルトが32歳の時に書き上げられなかった本があって、『精神指導の規則』というなかなか意味深なタイトルです。精神を指導するための規則のなかで、こんなことを述べているんだよね。

 若い人、学ぶ人は一人にしておいては駄目だと。やっぱり教師が一緒になって学んでいかなきゃいけないということを言っている。そうしたほうが、たとえそれが間違った道だったとしても、どこかにはたどり着くことができるだろう。あるいは、そこまでいかずとも、少なくとも正しい道を一緒に歩いていくことができるだろうと。

 なので、まず最初はやっぱり誰かお気に入りの師匠を見つけるといいと思います。それは、ルソーだろうが、デカルトだろうが、ハイデガーであろうが、誰でもいいけれども、「一人で」というのは学びにおいてはとても難しいし、もっと言ってしまうなら不可能だと思います。


●入学式は「終わりの始まり」──学ぶ人は師匠から離れるときがくる


津崎 誰かと一緒に学んでいく。それは読書であるかもしれないし、授業に出ることであるかもしれないけれども、そうするなかで、いろんなことに応用可能な能力...
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