●運命愛者のほうが、イメージによって自分の人生を変えられる
―― この本の中で、もう1つ印象深かったのが、最晩年、ご体調を崩されたときに、渡部昇一先生が「こうなってみると家族が一番幸せというか、大切だったな」としみじみお話しになったとお書きになっていたことです。
渡部 この本にも書きましたが、父は与えられたものに対しての愛情が非常に強い人間でした。家族というのも、出来の悪い息子も含めて自分に与えられたものだから、それをすごく肯定的に捉えていた。それが晩年になって、家族全員が父に亡くなってほしくない気持ちで寄り添っていたので、私たちにそういう言葉を残してくれたのだと思います。
―― 昇一先生の「ご家庭での姿」も描いていらっしゃいますが、表のお顔とご家庭でのお顔がまるでブレない。そのあたりは「さすが、渡部昇一先生」と思いながら、拝読しました。
渡部 あまり表裏のない人だったと思います。もちろん礼儀も考えてはいましたが、基本的には誰に対しても、あまり変わらない人だったと思います。
執行 そこらへんも、すごく伝わりますよね。
―― そうですね。
執行 この中で、とにかく「明朗であれ」という言葉が渡部家を貫く、本当に凄い思想であることがわかりました。渡部昇一先生の過去の本についても、新たに目が開く点がすごくありました。
「明朗であれ」のほかに、玄一さんが書かれている中で私が感動したのが「運命を愛する」です。「運命への愛」という言葉は私も大好きです。「アモール・ファティ」という有名なラテン語で、マルクス・アウレリウスの『自省録』に出てきます。
私がなぜ好きかというと、モーリス・パンゲというフランスの哲学者が日本の武士道に対して、「武士道は運命への愛」だと言って「アモール・ファティ」という言葉を使ったのです。もともと私は武士道が好きなので、その言葉にすっかり惚れ込んだのですが、その「運命への愛」が出ていることをすごく感じます。
その「運命への愛」を玄一さんのエッセイで知ることによって、昇一先生の本についても、また新たに衝撃的に打ち込まれた思想がたくさん出てきました。
渡部 おもしろいのは父は若いときに、小遣い稼ぎではないのですが、少し名前を変えて「大島淳一」という名前でジョセフ・マーフィーの『眠りながら成功する』(産業能率短期大学出版部、1968年)など...