●ずっと書斎で勉強や仕事を続けていた父の姿
執行 たとえば、今日持ってきた本で言えば、これは私が最も感動した1冊で、自分の人生観が動かされたものですが、フランスの生理学者ルコンド・デュ・ヌイの『人間の運命』。渡部昇一先生の愛読書であり(本のまえがきにも書いてありますが)、渡部昇一先生が訳された本です。(フランスの生物学者)デュ・ヌイはアレキシス・カレルの少し下の世代の人で、弟子ではないですが、友達です。
この人のことを、渡部昇一先生がどうしてそんなに好きだったのかとも思いながら、昔この本を読みました。この中に「人間の運命が、この世の存在だけであると思ったら大間違いである」「人間の運命は、この世だけでなく、宇宙のすべてにある」ということが書いてあります。昇一先生がこれを訳されて、出版された意志を、私はまずそこに感じました。それで哲学者でもあるルコント・デュ・ヌイを好きになり、彼もずっと研究してきたのです。「人間の運命そのものが、この世の存在だけだと思うな」という、人間の運命論が書かれている。こんな素晴らしい本はありません。
人間の運命はこの世だけではなく、実は人類の過去や未来、そこに全部、自分の運命が相似象――似ているけれど形が違うもの――としてあることを、渡部昇一先生はこの本から感じて愛読書になり、愛読書が高じて訳して出版されたのではないかと思っているのです。その意志を私は受け、だから私もそういう運命論を展開しているのです。
―― 今、執行さんが仰った運命論と共に、もう一方で少し話題に挙げたいのが、渡部昇一先生は、名著『知的生活の方法』など、知的生活でいかに自分が伸びていくべきか、どう向上していくべきかについて、たくさんご本を書かれています。また、ご自身がどう刻苦勉励されたかという姿を、玄一さんが(『明朗であれ』で)、ご家族から見た視点でお書きになっています。
例えば、玄一さんが本の中で「父がどのように、何を記録していたのかはわからない」と書いていらっしゃいましたが、毎回勉強が終わったあとに、方眼用紙に記録をつけるお姿。あるいは非常にお仕事に打ち込む姿です。(書斎に)入ったり、声をかけたりするのも怖かったほどの集中ぶりとか。そのお仕事ぶりは、ご覧になってどうでしたか。
渡部 私がまだ子どもの頃から青年期ぐらいまで、父がいちばん書き始めたころは、ずっと仕事をしていました。自分の城を築いて、書庫にとじこもって。しかし、別に鍵を掛けるわけでもなく、いつ行っても、ずっと書いたり、本を読んだりしている。それが普通の姿です。あとは雑誌やテレビの仕事で出かけるぐらいで、もうずっと仕事です。
もちろん、父はそれが嫌だったら、そんなことはできなかったでしょう。(実は、そのように仕事に打ち込む父の姿は)そんなに著作を書く前の父の状態と、あまり変わりませんでした。要するに私が本当に小さいときの勉強ばっかりしていた父と、私が高校生ぐらいで仕事をいっぱいやっている父の姿って、あまり変わらないのです。
―― 勉強なり、仕事に打ち込む姿が。
渡部 だから父はある意味、すごく幸福な人だったと思います。自分の打ち込んでいるものが一番夢中になるものであり、それがずっと継続できた。
若いとき、父は専攻が英文学なのに英国には留学できず、ドイツに行き、ドイツ語で英文学の博士論文を書きました。それから今度はオックスフォードに行き、また博士論文を書く。私もまがりなりにも大学を出て(笑)、勉強しましたが、同じことをやろうとしても、なかなか考えられないようなことを、父はやっている。物を書いたり勉強したりすることに、想像が及ばないぐらい入り込んでいける頭脳を持っていたのだと思います。しかも、それをすごく楽しんでいたような気がします。
本にも書かせていただいたように、最初は「奨学金をもらわなければいけない」という状況から始まったのかもしれませんが、それがだんだん楽しくなった。
おもしろかったのは、父はずっと一番の奨学金だったから、本当は当時花形だった米国に留学できる資格があったはずなんです。ただ父は、服はボロボロ、山形弁も抜けない。遊んでもいない。社交性がないということで、はじかれてしまったのです。父はすごく落ち込みましたが、逆に、目をかけてくれる神父さんが「ドイツだったら行けるかも」と言ってくれて、ドイツに行った。するとドイツのほうが、実は英語圏より、英文学の研究が進んでいたんです。そしてシュナイダー先生という、心の底から尊敬できる偉い先生に付いた。
●運命愛者の面目躍如たる「ドイツ留学」の生活ぶり
渡部 私が父の本で一番おもしろいと思っている、『ドイツ留学記』という本があります。父は一番最初に本を出版するならこれだと思って、一番最初...