●コンクールができて演奏家はダメになった
―― 渡部昇一先生の場合の愛の深さは、まさに『明朗であれ』の本から伝わってくるところですね。
執行 昇一先生は、とくに下地です。明朗も、愛も、自分の運命を愛するのも、人生の一番つらい、汚いところを乗り越えて、本当の明るさをものにした人なのだということが、学問を通じても、全部わかります。それは玄一さんにもあるから、かなり嫌な思いしてきたと思います(笑)。
渡部 いや、別に私は、のほほんと生きてきただけですけれども(笑)。
執行 それをちゃんと乗り越えている。もし乗り越えていなければ、ただ軽薄になってしまう。そういう感じがまったくないので、やはり乗り越えていらっしゃるのだと思います。ただ本人は、だいたいわからない。乗り越えているつもりがないから。
渡部 ボロが出ないように気をつけます(笑)。
執行 演奏家には、乗り越えているタイプの人が多いです。克己心です。
渡部 そうしないと、競争の世界ですし。
執行 あの練習量にしても、「大学者になれるぞ」と言われたと書いてありますが、演奏家が一流の演奏家になるだけの量、それだけの本を読めば、本当に大人物になれます。演奏家は、それを普通にやっていますが。
渡部 でも演奏家がみんな、人物として立派かどうかは非常にその……(笑)。
執行 そのもとになる克己心は持っています。
渡部 ある程度は、そうですね。けっこう強いられて。でも、ある程度になってから壊れてしまう人も、いっぱいいます。結局、何もかも同じでしょうが、それが現れやすい職業かもしれません。
執行 壊れてしまう人は、やはり愛がないんです。愛を受け取る力がない、というか。
―― 音楽家の場合、何のために練習するかというと、まず演奏会があるわけです。大勢のお客様の前で、毎回違うコンディションでやるというプレッシャーもあるわけですよね。戦いのような話です。
渡部 素晴らしい言葉があります。昔、フルニエというチェリストの巨匠がいらっしゃって、私の大先輩にあたる日本人が、その人のもとで留学して修業したときの話です。いろんなことをやらなくてはいけなくて、やらされて、やらされて、「ダメだ、ダメだ」と言われる。ずっと故郷を離れていたこともあって、そのうちだんだん行き詰って、先生に「僕は、なぜこんなにたくさん練習しなきゃいけないのか、わからないです!」と、ちょっと切れてしまったことがあるんです。そのときフルニエが言ったのが、「それはね、優しい人間になるためだよ」という一言だったんです。
執行 それが愛です。
―― すごい言葉ですね。
執行 フルニエは、ジュリアード音楽院にいたんですか?
渡部 私はジュリアード音楽院ですが、フルニエ先生は全然別です。フランスの……
執行 フランス人だよね。
渡部 フランスで教えていた。だから、その先輩がフランスに留学してたときに……
執行 そのときに言われたわけですね。
渡部 その話を聞いたとき、「さすがフルニエ、違うな」と思いました。
―― 玄一さんもチェロ奏者としてやられていますが、奏者から見て、その「優しさ」というのは、よりわかりやすくお話しいただくとすると、どういう感覚ですか。
渡部 例えば「1000回練習したら弾ける」と言われて、1000回カウントして練習したのに、できなかったりするんです。あるいは練習でよくできたことが、本場で大失敗することもあるんですね。そうすると、それらが恐怖になり、過度にプレッシャーがかかったりもする。タイガーバームを体中に塗って、筋肉痛を抑えながら演奏した時期もあります。
そういうときでもフルニエ先生の言葉を思い出すと、すごく勇気が出ますよね。それで優しい人間になれるかどうかは、検証していないからわかりませんが、「こんなに練習するのは優しい人間になるため」だというなら、それはいいことだと思うわけです。「自分が成功するため」といった直接的なことよりも、もっと内面的な目標なり、結果を示しているので、すごくいい言葉だと思います。
執行 多分、ピエール・フルニエが言った「優しさ」は、日本人が勘違いしやすいヒューマニズム的な、日本人的な人への優しさとは違います。
渡部「甘い人間になる」ということではない。
執行 そうではないのです。音楽の歴史の中で、音楽が人間に与えてきた愛があります。これを受け取れる人間になれ、ということです。私はバッハが好きで、バッハをいつも研究していますが、彼は失明するまで写譜をしていました。ロウソクの時代に、あれだけ膨大な中世の音楽を全部写譜した。
どうしてできたかというと、やはり音楽家がみな音楽を愛し、人類のために残したものを後世に伝えねばならないという義務感だと思います。そういうものが...