●アフガニスタンで起こった世界屈指の「風声鶴唳」
皆さん、こんにちは。
中東について、しばらく触れていなかったので、今日は最新の中東情勢の一つとして、日本でも大変馴染みが深くなった、アフガニスタンの情勢についてお話ししたいと思います。
ところで、古(いにしえ)の中国で、4世紀の383年に「ヒ水の戦い」が行われます。これは有名な前秦の苻堅が大敗北を喫した戦いです。苻堅が敗北を喫した理由は、「風声鶴唳(ふうせいかくれい)」です。すなわち、風の音に怯え、そして鳥の鳴き声に驚き騒いで、軍隊が敗走したことにあります。それが「風声鶴唳」という言葉のもとになっています。
わが国でも似たエピソードがあります。1180年に平家の平維盛が、源頼朝が率いる東北の軍勢を迎え撃って、富士川を挟んで戦おうとした時、富士川に生息していた水鳥がバタバタっと飛び立ち、水鳥の音に怯えて、平家の軍隊が敗走するという事件がありました。
これは歴史だけのことではありません。現実に、私たちの生きているこの時代にもおいても、平和な日本では予想、予測することさえできないことが先般に起きました。どこで起きたかというと、アフガニスタンです。ご承知のように2021年8月に、バイデン政権が、米軍をアフガニスタンから撤退させるという意思を表明して、アフガニスタンの国防軍は、直ちに解体、壊滅しました。壊滅したといっても、自ら敗走、解体してしまって、ともかく兵士が四散したので、これほど風声鶴唳なことはありません。あるいは富士川の水音にも比すべきことです。ただし、音さえ鳴っていません。鳥の鳴き声さえ無く、水鳥も音を出していません。そうして、急にバタバタッと、世界でも有数の、最新鋭のアメリカ製武器で武装された軍隊が雲散霧消したのは、驚くべきことです。世界屈指の風声鶴唳ではないかと思います。
もう一つ驚くことは、首都カーブルで起こったことです。よく「カブール」といいますが、正しくは「カーブル」です。首都カーブルで起こった、イスラム原理主義勢力タリバンへの恐れが何をもたらしたかというと、当時のアフガニスタン大統領のアシュラフ・ガニ大統領が国外に直ちに逃亡するという事件が起こりました。まさに中国史風にいうと、「遁走(とんそう)」ということがぴったりくるかと思います。
ガニ大統領が国民を見捨てて、とにかく真っ先に自分がアフガニスタンを出たというのは、当時テレビでも話題になりました。一説では、現金ドルをたくさん入れたトランクが、空港に残されていたという、まことしやかな落ちまでついています。
●アフガニスタンの国軍はなぜ機能しなかったのか
もう一つ言っておきたいことは、そもそもアフガニスタンのイスラム共和国が何であったのかということです。
イスラム共和国というと、何といっても「イラン・イスラム共和国」を皆さんはすぐ思い出すでしょう。それから、アフガニスタンの東隣のパキスタンもイスラム共和国を名乗っています。つまり、あそこには、東に「パキスタン・イスラム共和国」、西に「イラン・イスラム共和国」があって、真ん中には「アフガニスタン・イスラム共和国」があります。このイスラム共和国の名称の下で、多くの支援を外国から受けていたガニ大統領は、国家経営に成功するはずでしたが、うまくいきませんでした。
原因の一つには、イスラム共和国と名乗っていても、それにふさわしい国家機構の実態が無かったことがあります。イスラムがどうこう言う以前に、そもそも国家としての体裁を整えていませんでした。
もう一つの原因は、政府も軍隊も底なしの腐敗、汚職、便宜供与等で、軍隊の実態をなしていなかったことです。軍隊の兵員数が仮に2万人いたとします。しかし、その2万人は、実際にいる実員の人数ではなくて、欠員だらけの休眠人口でした。つまり、そこには欠員あるいは空員というべき現状が起きていたのです。
武器あるいは、食糧費や装備費がどうなったのかというと、着服や取り込みによって、跡形もなく消えました。
ガニ大統領を始めとして、この国の軍隊のことはあまり知られていませんでした。実際には、特に治安を維持する軍隊を中心として、ほとんどはヨーロッパやアメリカの民間警備会社に委託あるいは依存した兵員や人々がアフガニスタンの治安などを維持していました。
つまり、アフガニスタンの軍隊の一部は、ガードマン的な形でできていたということです。当然彼らは金によって契約や時間を結んでいました。「金の切れ目は縁の切れ目」とよく言いますが、ガニ大統領がいなくなったので、雇用者がいなくなりました。すなわち、自分たちの給料が払われなくなったので、別にアフガニスタンにいる理由も義理もありません。したがって、まず初めに、アフガニスタン軍...