●アフガニスタンが地政学的重要性を持つ理由
皆さん、こんにちは。
アフガニスタンは、パキスタンに同じエスニック集団が住むパシュトゥン人や、シーア派であるハザラ人、ウズベク人やタジク人など4つの大きなエスニック集団によって構成されていることを前回はお話ししました。
これらの民族はいずれも、アフガニスタン国内で他の集団と近い関係を意識するよりも、むしろ国外にいる同じ名前を持つ、パキスタン、あるいはウズベク共和国、タジク共和国といった中央アジアの国とのほうが、近い関係性を感じていました。そして、シーア派のハザラ人は、普段からイランの庇護を求めてきました。
したがって、アフガニスタンの政治力学には、常にイランなどの中東の利害や、ウズベキスタンやタジキスタンといった中央アジアの利益、あるいは中央アジアの背後に現前としてそびえているロシアの圧力があります。さらに、パキスタンの向こうには、パキスタンの敵性国家であるインドの野心がちらつきます。
さらに重要なことは、日本ではあまり知られていませんが、アフガニスタンは中国と国境を接している国だということです。人工的に作られた、パミール高原を東西に貫く「ワハン回廊」と呼ばれる回廊があります。このワハン回廊で、中国の新疆ウイグル自治区と接しています。
皆さんもうだいたいお気づきのように、現在の中国の内政外交において、大変重要な問題になっているのが、人権の問題、民族自決・民族自治の問題です。出生率や人口に関わるような圧迫行為などが行われているのが中華人民共和国の中の新疆ウイグル自治区です。そして、その安全保障に関しては、もろにアフガニスタンを介して出てくることには注意深く見ていなければいけないと思います。
こうしたことが、まさに「地政学的重要性」です。「ジオポリティクス」、あるいは「ジオポリティーク」という言葉でもよく使われます。この言葉は意外と平凡な言い方です。地球は丸いので、見方によっては、「俺のところこそ、地政学的重要性を持っている」や「いや、あそこは地政学的重要性を持っているね」など、結構どこの地域についても出てくる言い方です。地政学的重要性が、本当の把握力を持つという意味でいえば、アフガニスタンこそが地球上において本当に地政学的重要性を持つ国だといっていいかと思います。
もう一回さらっていくと、中国、インド、パキスタンなどの南アジア、そして、イラン、イラク、トルコへと繋がっていく中東と、中央アジアからロシアへとつながっていく、という異なる資質を持った大陸の一部につながっています。この4つに接していて、これらが可変的に変化していく四辺形の重要な場所にあるのがアフガニスタンだということです。
●イギリスとロシアの激しい勢力争いに巻き込まれた過去
これまでそこの平和や安定を維持してきていた、アメリカと北大西洋条約機構(NATO)が、この地域から撤退しました。最後に撤退したNATOの軍隊の一つはトルコでした。NATOの軍隊やアメリカの軍隊が手を引くと、直ちに生じるのは政治的真空状態です。そして、さまざまな勢力の利害が交錯する不安定な十字路が生じるのは、火を見るよりも明らかです。
そこで問題となるのは、この地域を誰(どの国、どの民族)が抑えるのか、誰(どの国、どの民族)がこの無秩序を回復し、中東、南アジア、そして中国、中央アジア、ロシアにまたがる要衝を「不安定の四辺形」から「安定の四辺形」へと変容させることができるかということです。
しかし、これは口で言うほど簡単ではありません。ここで、もう一度歴史を学んでみたいと思います。
さて、歴史をひも解いてみると、アフガニスタンほど地政学的に不安定であり、かつ複雑であった地域もあまりありません。皆さんも私もすぐ思い浮かべるのは、古代のアレクサンドロス大王です。ギリシャのマケドニアからやってきて、アケメネス朝ペルシャを滅ぼして、アフガニスタンを経由して、インドに入っていきました。また、北の中央アジアから、南のインドへと南北に地域を征服し、領有したムガル帝国の創始者であるバーブルもいます。アレクサンドロス大王の場合は東西、そしてバーブルの場合は南北という、東西と南北から異なる政治力学が、この大変壮大な四辺形にいつも働いていました。
19世紀以降になると、中央アジアと、インド亜大陸を巡って、大英帝国とロシア帝国は、有名な「グレート・ゲーム」をします。仮に大勝負、大掛かりな勝負と訳しておくと、このグレート・ゲームこと、大勝負を繰り返してきました。その焦点はどこにあったかというと、アフガニスタンにありました。
アフガニスタンを抑えれば、ロシアは一気に南下して、ほとんど無抵抗に広大なインド亜大陸に攻め込むことができる。...