●アフガニスタン復興支援に対する日本の取り組み
皆さん、こんにちは。
これまで、アフガニスタンの問題について議論してきました。アメリカにおける貿易センタービルを始めとする、同時テロを受けたアメリカ軍の武力行使が2001年に行われて、第一次タリバン政権が崩壊しました。その後、国際社会はアフガニスタンの再建と民主化のために、支援に着手しました。
日本政府も2002年1月に「アフガニスタン復興支援国際会議」を東京で行い、私もこの会議に関係しました。そして3月には、「官邸アフガニスタン復興支援調査合同ミッション」という大変長い名前の調査官の一員として、戦乱がまだ終わって間もない、戦火の跡が著しいアフガニスタンを訪れました。クラスター爆弾があちらこちらに散らばっていて、「ここまで行ったらダメ」、「ここを触ったらダメですよ」と、注意が喚起されているその傍まで行くなどの経験をしてきました。
また、わが国の日立建機には地雷原を破砕する機械があります。地雷原が爆破してももつほどの頑丈で立派なアームをぐーっと先のほうに伸ばして、地雷を処理します。その特殊なトラクターを日本は援助して、地雷の除去などをやっていったことを思い出します。
この完全復興ミッションの重要な使命の一つは、やはり何といっても難民の救済です。特に重要なのが再定住化で、元居た地域に戻って生活してもらうための援助をしていました。それに付随して、子どもの教育やインフラストラクチャーの復活、復興などいろいろありますが、中でも重要なテーマの一つは、女性問題のテーマです。
この官邸ミッションの調査や合同が何を意味しているのかというと、次の二つからなっています。一つは、「対外関係タスクフォース」という、小泉純一郎元総理大臣の諮問機関がありました。このとき総理大臣補佐官であった岡本行夫さんが長となり、民間から私なども入って作られていたものです。このタスクフォースのメンバーの内4人がアフガニスタンに行きました。
もう一つは女性のNGO団体から、女性問題と看護学の専門家の2人が加わって、もっぱら女性問題という観点で専門的な知見を提供していただきました。こうしたことから、「合同調査ミッション」と呼ばれたのです。
このミッションはいずれにしても、その後、女性問題に対して非常に熱心に取り組み、女子教育の発展に寄与した...