●ベートーヴェン交響曲第5番を聴き続けて分かったこと
―― 奈良時代の人たちと会話ができるようになるというのは、すごいことです。考え続けていなければできません。思い続けていなければ。
執行 そう、信じ続けていなければ。それができた理由は、やはり辞書も引かない。それから「自分が必ず分かる」と信じる魂です。「過去に生きていた同じ日本人がわかったこと、感じたことを、1300年後の私が感じられないわけがない」という決意です。その決意でやっていたら、できたのです。その決意がなければ、いくらやってもできないかもしれません。
この決意をうながしてくれた思想は、「テンミニッツTV」をずっと見ている人は分かると思いますが、『葉隠』です。
―― なるほど。
執行 「同じ人間が、誰に劣り申すべきや」という「葉隠十戒」の中の山本常朝からいただいた言葉です。これを私は神のごとく信じています。この言葉で、私の場合は芸術が好きだったので、芸術作品と対峙した。それで会得できたのです。
もう一つ話すと、私はベートーヴェンの音楽が好きで、若い頃は特に「(交響曲)第5」が好きでした。「運命」です。小学校5年のときに惚れ切ってしまって、家にあったブルーノ・ワルター指揮のコロンビア交響楽団が演奏しているレコードを、毎日毎日聴きました。小学校5年から大学を卒業するまで、「運命」を聴かなかった日は一日もない。そのくらい聴きました。
そうしたら、やはり同じ現象が起こりました。「運命」の中にある、ベートーヴェンが音符として打ち込んだ言葉の意味を全部分かるようになったのです。
嘘みたいな話ですが、私は今でもベートーヴェンの交響楽は、例えば「第9」でも「第7」でも3音符、つまり0.00何秒の長さを聴けば、それが第何楽章の第何小節のどの音符で、前後左右の関係でなぜその音符がそこに置かれたかの意味も分かります。「第5」を聞いているだけで、そこまで行けたのです。
―― それはすごいですね。
執行 だから私が力説したいのは、芸術というのは、それだけの力を持っているということです。私は『万葉集』とベートーヴェンの「第5」で実体験したのです。
―― 会得したわけですね。
執行 それを将来、滅び去った後の日本人の魂を呼び戻していただきたいという決意で、芸術を集めています。それが「憂国の芸術」です。
だからこの場所は、ちょっと普通とは違います。美術館でもない。たんに美術が優れてるから並べたのではないですから。たとえば絵もそうですが、「描いた人の魂が絵の中に入り込み、運命的なすごい力を作っている」と私が判断した芸術だけを集めています。見てもらえば必ず分かります。
戸嶋靖昌の絵は一番大きいコレクションで、代表格です。戸嶋靖昌という人間が、命を全部、入れ込んでいる。絶筆などは、一番いい例です。最後の残った命を全部その絵の中に入れ込んでいる。将来、分かる人が見てくれれば、それが分かる。それが分かると、自分の魂を再びつかみ取れます。これが将来の日本人に対する、私の愛国心の発露だと思っています。
●日本がダメになったときに人びとが渇望するもの
―― 先生が贈る「後世への最大の遺物」ですね。
執行 そうです。「後世の遺物」といえば、内村鑑三ですね。内村鑑三は、私は一番好きなのです。内村鑑三は、私の思想の根源を作っている人ですから。
―― 先生の思想の根源は、内村鑑三ですか。
執行 一言で言うと、「憂国の芸術」はコレクションにつけた名前ですが、私の思想の名前は「『絶対負』の思想」です。これを私は30歳前後の頃に構築しました。そのときに一番読んで、一番影響を受けたのが内村鑑三です。
岩波書店の『内村鑑三全集』全40巻が、ちょうど29歳のときから33歳ぐらいまで毎月出ていました、1巻ずつ。ちょうど私が一番苦悩し、私の思想を確立した時期に出ていたので、それを毎月読みながら構築していったのです。
―― それはすごいですね、毎月読みながら。
執行 ちょうど出終わった頃に、自分なりに、自分の思想に「絶対負の思想」という名前をつけました。武士道を中心にして、内村鑑三の思想も中心なのでキリスト教の思想も入っている。それが私の中心思想です。その思想に基づいて、この芸術作品も集めています。
元々、内村鑑三は小学生のときから好きで、教文館からジャンル別の全集が出ていました。聖書の注解や人生観、美術論などです。ジャンル別は読んでいましたが、岩波から出たのは編年体です。若いときに最初に書いた論文から、死ぬまでの論文を年齢順にまとめていました。編年体の全集を読む中で疑問点がたくさんありましたが、それをもう一回読むことで疑問がストンストンと腹に落ちていきました。
―― 腹落ち感があったのですね。
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