●魂の燃焼に命をかけた人たちの作品を集める意味
――まさに先生、「憂国の芸術」の空間ですね。この素晴らしさ。
執行 そうです。けっこういいでしょう、雰囲気が。
―― ものすごくいいですね。
執行 けっこう苦労しました、作るのに。「憂国の芸術」と勝手に自分のコレクションに題名をつけていますが、「憂国の芸術」の意味は、もちろん芸術作品として優れていることは大前提。芸術作品として優れているだけでなく、戦後の民主主義と飽食の時代にあって、本当の燃焼、自分の生命や魂の燃焼に命をかけて生きた人たちの芸術作品を集めるのが趣旨です。だから芸術の才能と生き方とが一緒になっているのです。
―― 一緒でないといけないんですね。
執行 なぜこれを私が集めて、後世に残すために展示会も開き、保存に膨大な労力とお金をかけているのかというと、要するに、私自身は思想としては、もう民主主義は行くところまで行くと思っています。文化がどんどん落ちていくことを止めることはできない。ある程度、行き着くところまでは、絶対行くだろうと。
―― もう無理ということですね。
執行 誰も止められない。何というのか、滑車が回っているというか……。
―― 落ち方の歯車が……。
執行 だけど私も曲がりなりにも日本人だし、日本という祖国に愛情があり、愛国心を持っています。私の愛国心の出し方が、「憂国の芸術」なのです。自分はある程度、商売もうまくいっている。だからちょっとした余力を今言った優れた日本人の芸術、そして自分の命をすべて生命燃焼させ、魂をすべてぶつけた日本人の作品をいろいろ集め、それを完全な形で後世に引き継いで、残しておく。これを私は最大の使命の一つだと思っているのです。
―― 後世への最大の遺物の一つですね。
執行 後世のためです。なぜなら本や説教といったものは、どんなにやっても人間は所詮ダメだと思っているからです。私も人の説教を聞いたことがありません。親の説教も聞かないし、先生なんて一つも受け入れない。自分もそうだったので、多くの日本人もそうだと思う。そして私自身もそうだったのですが、心を動かされたものは芸術作品なのです。芸術性があるもの、作品に限らず芸術性があるものです。
―― そちらのほうが魂に訴えかけるんですね。
執行 何か訴えてくる。そして私は理屈がなくなって、道徳や秩序といったものが全部崩壊し、日本の良かった文化も崩壊し尽くすと思っています。
―― これからですね。
執行 そうです。これから数十年かかって。そうなったときに日本人が、本当に日本人の魂で良かったものを思い出すのは、芸術作品と会ったときだけだと思っているのです。だから一つでも完全な形で後世に残したい。その記録といろんな文献を揃えておけば、将来の50年後か100年後かは分かりませんが、将来の日本人がコレクションの中で自分の気に入ったのを見て、「おお、日本という国はここまで落ちているけれど、過去の日本人にはこんなに魂的に立派な方々がいたんだ」と分かる。絶対にそうなるであろうという作品を「憂国の芸術」という括りで私が集めて、もう何十年にもなります。ここは、それを展示する場所なんです。
―― 独特の空間ですよね。ものすごく空気が違います。
執行 清浄でしょう。
―― はい。
執行 来た人がみんな言います。神殿みたいだと。神社ともよく言われます。それは、やっぱり作品の力です。私が集めた作品は、そういうものばかりだから。
●発想の原点は、奈良時代へのタイムスリップ
執行 ちょっと説明が長くなりますが、「憂国の芸術」は私自身の経験から生まれているものです。どうしても人間というのは、それしかできません。私自身は小学校の頃から日本の古典がすごく好きで、中でも『万葉集』が好きでした。小学校の頃からずっと、71歳の今日まで読んでいます。
私は『万葉集』を読みだしたのですが、私は『万葉集』の解説書や説明書、学者が書いた本も読んだことがありません。さらにすごいのは、辞書も引いたことがない。
―― すごいですね。
執行 古典で辞書を引かないのですから。1300年前に書かれた歌で、時間は1300年間離れていますが、同じ日本人が書いたものが分からないわけない。そんな魂的決意を小学生から持っていたわけです。今日までそれを押し通して、私はずっと読んでいます。
30歳の頃ですが、そうやってずっと読み続けてきたら、こんな神秘体験をしました。ある日、『万葉集』に書いてあることが全部響いてきて、伝わってきたのです。(山部)赤人や(柿本)人麻呂といった人たちの姿や顔が浮かんできて、その人たちの生活までが浮かんできた。その歌を作ったときの情景が、浮かんできたのです。
―― 入ってくるようになった。
執行 入ってきてしまったので...