●ウナムーノの思想を失ったからヨーロッパは崩れつつある
執行 ミゲール・デ・ウナムーノなども同じです。ウナムーノはスペイン人でカトリック信者だから、愛のために命を懸けて生きました。彼の有名な言葉は『生の悲劇的感情』という哲学書に出てきます。
ここはすごく重要だから、よく聞いてほしいのです。「人間とは、愛のために一生苦悩して生きるか、それとも魂の苦悩を全部捨てて幸福になるか、どちらかしかない」。これを『ベラスケスのキリスト』を書いたミゲール・デ・ウナムーノは、『生の悲劇的感情』という哲学書に書いたのです。
このうち「幸福」だけを取って、幸福、幸福、健康、健康……、これが今の日本です。だから「魂の苦悩」を全部捨てた。つまり、ウナムーノに言わせれば、「人間じゃない」ということになるのです。
―― そうか、人間じゃない。
執行 魂の苦悩に生きるのが、昔の哲学者たちの言う「人間」です。だから悪いですが、これから日本人は全部、「家畜」に向かっているのです。
―― 家畜に向かっているんですね。
執行 これはしょうがない。ウナムーノが『生の悲劇的感情』を書いたのは1920年ぐらいです。今から100年前に哲学者は、みんなそう言っているのです。20世紀に入ってすぐ、近代や機械文明が始まった頃のヨーロッパでは、余暇や遊びやレジャーといったものばかりを言い出すようになりました。まだ日本は貧しかったけれど、ヨーロッパは豊かになっていた。その頃にもうウナムーノは警告を発していたのです。
―― そのときに見えていたわけですね。
執行 今、『生の悲劇的感情』というウナムーノの代表的な哲学書の話が出ましたが、ついでに言うと『西洋の自死』というダグラス・マレーが書いた本も素晴らしいです。「ヨーロッパが移民で潰れる」と。移民をもう断わることができない。ヨーロッパはヒューマニズム、人道主義によって潰れると書いてある本です。
彼はジャーナリストなので、数字を挙げて全部書いてある、素晴らしい本です。読むと本当にヨーロッパがダメになるのが分かります。
この原因としてダグラス・マレーがはっきり書いているのは、ヨーロッパ人が、ミゲール・デ・ウナムーノが書いた『生の悲劇的感情』の思想(つまりはキリスト教信仰)を失ったから、ヨーロッパはこうなったというです。はっきりと、その本に書かれています。
私はそれ見たとき嬉しかったし、ビックリしました。『生の悲劇的感情』は二十歳のときから私の最大の愛読書でしたから。
―― ああ、そうですか。
執行 私は、ここにヨーロッパ精神が一番出ていると思います。ウナムーノはカトリシズムで一生苦しんだ人ですから。信仰です。それがヨーロッパの本体です。それを失ってヨーロッパ人みんなが、ウナムーノが言う「幸福になりたい」と思った。自分が幸福ならそれでいい、と。それで今のヨーロッパができた。
幸福の前に、もっと人間として何が価値あるのか。人間として生きるには何が正しいのか。愛なのか。愛のため。信のため。義のため。そういうものがあれば、移民問題なんて起こるはずもないし、悪いと思ったらドンとやめられます。
でも人道主義は、つまり「幸福が欲しい」「平和になりたい」ということです。平和で幸福で争いがなく、みんな豊かになって、みんな仲良く。「みんな仲良く」と「幸福主義」は一緒だから、それを取ってしまったということです。
―― 「幸せになりたい」ということですね。
執行 一言でいうとそういうことです。今の日本も、問題はそこです。
―― そのためには持っている大切な魂、大事にしているものを全部捨ててもいいと。
執行 それで魂の苦悩も捨てるところに来たということです。信仰というのは、みんなそういうものです。昔のヨーロッパの本も、全部それが書いてあります。
だから今ヨーロッパの偉大な文学も、もう読む人はいません。アンドレ・ジイド、ロマン・ロラン、ドストエフスキー、トルストイ、誰も読みませんよ、もう。でも、あれに書いてあるのは全部それです。
あの大作家がいた頃は、キリスト教信仰がまだ残っていました。私が好きなアンドレ・ジイドもそうです。青春文学で言うと、昔の青年がみんな読んだのは僕も感動した『狭き門』です。
これに出てくるアリサという人の「人間というのは幸福になるために生まれてきたのではない」という一番有名な台詞があります。これを言ってアリサはジェロームという恋人、プラトニック・ラブだけれど恋する人との結婚を諦め、修道院に入って尼僧になるのです。そういう純愛の物語です。これに昔の人は一番感動したのです。
―― なるほど。
執行 アリサが最後の台詞でそう言ったのは、これが昔の偉大なヨーロッパを作っていたからです。自分の幸福のた...