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大国主神と大物主神…「いい神様」と「祟り」はなぜ裏表か

大国主神に学ぶ日本人の生き方(9)「大物主神」との関係

鎌田東二
京都大学名誉教授
情報・テキスト
『悲嘆とケアの神話論ー須佐之男と大国主』(鎌田東二著、春秋社)
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「祟る神としての大物主神」という話が、鎌田東二氏の『悲嘆とケアの神話論』に出てくる。大国主と大物主との関係を通して、大国主の性質と『古事記』に込められたメッセージとしての「祟り」について考えてみたい。この両面性は、ある意味では「いい人症候群」にならないための考え方といえるかもしれない。さらに、大国主神のあり方、生き方をみることで、現代日本が忘れかけている「弱さの中の強さ」「生き抜くためには何が必要か」について問い直すことができる。そこで考えさせられるのは「素直」の意味である。(全9話中9話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:12:12
収録日:2023/08/08
追加日:2024/02/04
≪全文≫

●「祟る神としての大物主神」と大国主神の関係


―― 最後に先生にお訊きしたいのが、この『悲嘆とケアの神話論』の論文の中で先生が最後にお書きになっていることです。先ほども少し出てきましたが、「祟る神としての大物主神」という箇所があります。大物主神と大国主神は、表裏のような関係なのですか。どのような関係になるのでしょう。

鎌田 学説的にはいろいろな説がありますが、『日本書紀』に、「荒魂、奇魂」と出てくるのです。

 その個所を引用しますと、スクナビコナノカミが黄泉の国に去ったときに、大国主が憂えて、「どうして自分1人でこの国をこれから作っていくことができるだろうか。いずれの神(他のどのような神)とこの国をうまく作っていくことができるだろうか」と相方を求める、パートナーシップを求める。

 すると、海を照らして光り輝きながら寄りついてくる神がいた。その神が「能く我が前を治めば吾能く共興(とも)に相作り成さむ。若し然あらずは国成り難けむ」と言われた。「然らば治め奉る状を奈何(いか)に」と申したまえば、「吾は倭(やまと)の青垣の東の山の上に伊都岐奉れ」と答えた。これが『古事記』では「御諸山の上に坐す神」となっていて、『日本書紀』の中では「幸魂、奇魂」という異種の伝承になっているわけです。

 そこで大物主と大国主との関係性ですが、もともとは違う神でした。だから別に現れた。だけれども協力し合う。それを『日本書紀』では奇魂、幸魂のような位置づけにして、より大物主の持っている力の神聖さを強調する形になっています。『古事記』では、より具体的に、コーポレートする相棒の神、スクナビコノミコトに成り代わって大国主を助ける神になっている。

 その大物主神が、『古事記』でも『日本書紀』でも、天皇や時の為政者に対して警告を発しいろいろな形で祟る神になってくる。「祟る」ということは、きちんと祀りがなされているのかを警告する意味合いがあります。ないがしろにしていないかどうか。だから、大国主神(出雲の神)も祟る神として語られ、大物主神も祟る神として現れて、両神とも祟る神としても現れるのです。それは国作りをした神の親心でも責任でもあります。

 国作りをした神であるがゆえに、国にリスポンシビリティ(責任)を持つわけです。「自分たちが初めにそれを作ったのだぞ。一番の根幹には自分たちが作ったものがあるのだ。それをないがしろにしていないか」と。これは老婆心というか、当然の思いですよね。「きちんとやっているのか」というメッセージを発しているわけです。

 そこで「あ、疎かにしていました」となれば、きちんと祀り直さねばならない。祀り直すことによって修理固成をしていく。さらにリメイクしリノベートしていくということになって、平和、改善、それから豊穣が生まれてくる。こういうことになります。


●「いい人症候群」にならなくてもいい「両面性」


―― ここが今までこの講義を通して伺ってきたことだけでいうと、大国主は本当にいい神様です。いろいろな配慮もできる、いろいろな人に助けられる、いろいろな人と協働していくという、いい神様の側面ばかりが出てきます。

 ですが、祟る神としての側面、あるいは大物主との関係性などを考えていくと、いい人だけではなくてもいいのだよという側面も出てきますね。そのあたりの「いい人症候群=いい人にならなければ」というところだけではない側面も持っているのが、また魅力的だなと思います。

鎌田 これはいろいろなメッセージや、考えさせられる多様な側面があります。人間が持っているある種のスペクトラム、複雑なグラデーションをなす心のあり方とも関係するし、人が持っているキャラクターの多面性も関係する。神もやはり一筋縄ではないのです。いろいろな要素を絡み合わせながら働く。そして、その時々に必要な現れ方をする。

 大国主という神が持っているもの、貫いているものは、どういった形でいいものを生み出すか。そういう意味では、いい神なのです。でも、いいものを生み出す力は、どこかねじ曲げられたものをもう一度正さねばならない。正さねばならないときに、間違っているのではないかということを知らせる印、メッセージ、警告を送らなければいけない。

 「ちょっとやり方を間違っていませんか」「自分勝手に進めていませんか」「人々を使役していませんか」「差別と格差が拡張していませんか」「他の動植物に対して危害を加えすぎていませんか」など、いろいろあるでしょう。その際に自然からも警告が来ることもあると思いますが、神は神の警告をきちんと発しているわけですよ。

 その警告をきちんと受け止めた人間側、あるいは天皇、あるいはそれを祀る側がきちんと祀り直して、その怒りのメッセージを鎮め、それを受け止める...
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