●「江戸っ子」に匹敵する「ローマっ子」はいたのか
―― 日本の場合、川柳や狂歌、また歌舞伎においても江戸っ子的な「粋」といわれるように、どちらかというとエスプリが利いたイメージがあると思います。ローマの風刺詩のイメージは、どういう精神に裏付けられているといえるのでしょうか。
本村 「江戸っ子」に類するような言葉がローマの場合にあるかというと、「ローマっ子」のようなものがあったわけではありません。一方、「江戸っ子」の定義については西山松之助(日本史学者)さんなどが述べています。
それによると、当時は参勤交代でいろいろな国から多数の武士、武家がやって来て、それぞれに屋敷をつくっていました。そういう人たちや彼らに付随して来る人たちなど、「江戸以外の人間」がたくさん集まってくることになったわけです。
そうなると、逆にどこに「江戸的な人間」の特徴があるのかが気になるところです。そこで、日本橋や神田などで生まれ育ったということから、非常に粋な精神を持っているというところまでクローズアップされていきます。田舎から来た侍、いわゆる田舎侍の集団との対比によって「江戸っ子的な精神」が形成されてきたのではないか。西山松之助さんの著書を読んで、非常に納得したところです。
それと同じようなことがローマではあったのかといわれると、参勤交代はなかったけれども、外からたくさんの人が集まってきていた点は共通します。ただ、本当に純粋なローマとはどういうものかというような精神が出てくるのは、もっと後の時代になります。キリスト教が出てきて、古典古代的な文化が失われていく時代になってからのことです。
●長い平和に育まれた川柳と諷刺詩
本村 当時のローマはむしろ多様なものを属州から取り込んでいくところがあり、「ローマっ子」のような概念は出てこなかった気がします。その点、江戸と大きな違いがあるというか、むしろ江戸のほうが非常に特殊だったといえそうです。
―― 類型ができた、ということですね。
本村 参勤交代があったために、世界史的に非常に特殊な都市だったということだと思いますね。
―― 全国から強制的に人を集めてくるような仕組みですからね。
本村 そうですね。それをさておいたとしても、江戸時代の二百数十年間、特に江戸の地域においては、徳川幕府の下で平和な時代が続きました。私は、...