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クルド人とイスラム国(ISIL)…対立の経過と意味

イスラム国とクルド独立(2)イスラム国vsクルド~中東の新たな対決構図

山内昌之
東京大学名誉教授/歴史学者/武蔵野大学国際総合研究所客員教授
情報・テキスト
クルドの旗
イラクとシリアで戦闘を繰り広げるイスラム国によって国際的な表舞台に登場したのが「クルド問題」だ。トルコ、シリア、イラク、イランに四散して虐げられ反目し合ってきたクルド人は、厳しい戦いを通じて自らの存在と勢力を世界に告知している。(全3話中第2話目)
時間:15:39
収録日:2014/12/12
追加日:2015/01/22
カテゴリー:
≪全文≫

●「ノー・マンズ・ランド」をめぐる中東の新しい対決


 皆さん、こんにちは。現在の中東には、目立たない形で大きな対決・対立の新しい構図ができています。それは、「イスラム国対クルド」という構図です。

 クルド人は、中東で第4番目の人口を誇る民族であるにもかかわらず、トルコ、シリア、イラク、イランに分散して住んでいます。彼らは独立国家を持たないことが特徴です。

 2014年8月以降、イスラム国は、北イラクにつくられているクルド地域政府(KRG)に対して対決色を強め、攻勢を深めています。なぜかと言うと、イラクとシリアの間にあった国境がもはや消滅したに等しい現在、「両国にまたがるシャーム砂漠を押さえるのは誰か」という問題があるからです。

 シャーム砂漠は、アラビア語では「バディエト・エ・シャム」と言い、しばしば「無人地帯(ノー・マンズ・ランド)」とも呼ばれます。「ノー・マンズ・ランド」には、「危険地帯」という意味もあります。もはやイラクとシリアの中央政府にとっては御しがたい危険地帯になった地域をめぐって、イスラム国とクルドは争っているのです。


●イスラム国の攻撃が「クルド民族の国づくりの触媒」として促進


 第二に、イスラム国もクルドも、それぞれモースルやキルクークといった北イラクの油田・油井を押さえています。これらをめぐる両者の争いは、領土をめぐる争いにも増して、両者の今後の道筋や利益を考える場合に、大変重要な要素になってきています。

 そう考えると、実は、イスラム国の攻勢・攻撃はクルドの「ネイション・ビルディング」に一役買っているのです。分かりやすく言えば、「クルド民族の国づくりの触媒」として促進しているのはイスラム国でもあるということです。

 つまり、クルドがこれほどはっきりと独立国家への道を歩むようになった原因は、ひとえにイスラム国の攻撃によってクルド人たちが結束を固めるようになったからで、従来国ごとに分かれ対立していた彼らの大同団結や一体性を回復しようという動きにつながったのです。

 すなわち、現在のイスラム国の攻撃は、クルドの存在意義を北イラク中心に強めているだけでなく、地方的な実在でしかなかったクルドの存在を国際世論や国際政治にとっても無視できない、死活的プレーヤーに転換せしめたと言えるでしょう。


●クルド人とイスラム国は、互いの鏡として機能する


 いずれにしても、シリアとイラクにまたがる「無人地帯」にして「危険地域」でもある「ノー・マンズ・ランド」を迅速に占領したクルドとイスラム国という二つの新しい勢力にとって、イラクとシリアの情勢は、互いに互いを映し出す鏡となっています。

 双方ともに、相手を見ることによって自らを見ているのです。つまり、国際的に承認された既存の国境をぼやけさせ、クルドもイスラム国も、外国からの義勇兵として、さまざまな人たちを新たに呼び込むことになったのです。

 クルドとイスラム国は共に、イラクとシリア国家の分裂によって残された政治的な真空を満たそうとして、この機会を利用しています。これは、双方にとって、単なる自治ではなく高度な自治を確保し、さらに事実上の独立を経て最終的に公式に独立するための道筋を担保する条件を今つくっているということです。このことは、特に国際関係において認められているクルド人にとって、顕著な事柄です。


●「領土」の争奪によってできた新しい「国境線」


 2012年夏、シリアのクルド人は「アラブの春」のインパクトの下、アサド政権に対する反政府運動の高まりの中で、自治機構を創設することに成功しました。これをめぐってたちまち衝突したのが、同じくアサド政権に対して反発していたイスラム国でした。なぜかと言うと、シリアの北にクルド人が自治国家をつくると、イスラム国の広がりや取り分が少なくなるからです。つまり、2012年の夏以降、イスラム国とシリアのクルド人は、すでに非常に緊迫した関係に入っていたのです。

 イスラム国は2014年6月に、サッダーム・フセインの出身地でもあるイラクのティクリットとモースルを占領しました。同じ6月、北イラクのクルド地域政府は、係争中だった石油地帯のキルクーク占領という挙に出ます。イラクのクルド人支配地域は、この占領によって従来より40パーセントほど拡大することになりました。また、この結果として、今や1000キロメートルに及ぶ線に沿って、クルドとイスラム国が直接に接することになりました。イスラム国と北イラクのクルド地域政府の間には、直接的な国境ができたことになります。


●イラク政府が後退し、クルド地域政府が主要プレーヤーとなった理由


 こうしてイスラム国クルド人は、領土や石油利権の問題をめぐって、直接に対決するようになりま...
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