●弾道ミサイル発射に対する関与戦略に手詰まり感
私が佐世保総監として2年間赴任している間、いろいろなことが起きましたが、実は総監として着任して最初に洗礼を受けたのは、北朝鮮が「衛星」と称するミサイルの発射でありました。
これは2012年4月で、それこそ報道にあった通り失敗に終わったわけですが、同時に、わが国の情報の伝達やいろいろなものも失敗に終わったときでもありました。
そして、同じ年の12月に、北朝鮮は再び「衛星」と称するミサイルの発射を行いました。このとき北朝鮮は、12月14日に「人工衛星」と称するミサイルの発射を発表し、直ちに防衛会議が開かれ、準備命令と統幕長指示が出され、そのあといろいろなことがあって12月12日に至り、ミサイルが発射されました。これに対して自衛隊は、イージス艦を洋上に、そして、陸上自衛隊およびPAC-3の部隊を南西諸島に配備して対応したわけであります。
この弾道ミサイルの発射後、今度は2013年4月から7月の間に、北朝鮮は弾道ミサイルの発射を予告し、日米韓への恫喝を実施いたしました。これに対しましても、軍事的には日米のBMD、すなわち、弾道ミサイル防衛体制を構築して対応いたしました。そして、政治外交的には、六者協議を中心とした、いわゆる関与戦略と言われることで対応したわけです。正直、現場の指揮官をやりながら、何度も何度もこういうことが繰り返されると、何か手詰まり感があるなというのが私の印象でありました。
●北朝鮮の弾頭ミサイル発射の歴史
では、こうした北朝鮮による一連の行動の背景とは、一体何だったのでしょうか。その前に、北朝鮮の弾頭ミサイル発射の歴史について簡単に申し上げます。
1993年5月にノドンが発射されました。これは日本海に着弾したと言われています。「言われています」と申し上げたのは、実はこのとき、日本国政府や国民がノドンを撃たれたことを知ったのは2週間もあとのことで、米国の高官からの情報によるものでありました。
98年、テポドン1が8月に発射されました。このときは、探知捜索機能を辛うじて備えていた日本のイージス艦が、これを探知しました。そして追尾しました。ただ、このときも北朝鮮は「衛星」だと言いました。
しかし、直ちに解析しようとしたのですが、今のようにはいかず、それが本当に衛星なのか...