●歴史観は、現在の課題を見据え、将来を展望する基盤
現在の課題を唱えていくとき、一番大事なのは歴史観だろうと、私は思います。歴史観と、歴史家としてどういう作業をするかとは違います。大事なことは、現在の課題を時間軸の中に位置づけて、将来を見通すための基盤を自分の中に判断基準として持つこと。それが歴史観だろうと思います。
そういう観点から、世界や日本が現在抱えている主要問題を考えようとしたとき、歴史観として一番基本になるだろうと私が思うのは、非常に不思議なことですが、人類史が千年ごとに大きく変化していると考えられることです。
たった今は、三つ目の千年紀のど真ん中にいる状況だと思います。
●第一の千年紀は「自然、人、神」の関係を掘り下げた古代
第一の千年紀は、紀元前数百年あたりから紀元後数百年くらいまでの間です。普通の歴史と同じように、「古代」と言っていいでしょう。この時代は、「人と神と自然」の三つの非常に密な関係が、いろいろな形で深められていった千年間だったろうと思います。
例えばインドでは、多神教の世界が『リグ・ヴェーダ』という文書に大変見事に展開されていて、今の形になったのは大体紀元前800年前後だろうと言われています。それは、何百年もかかって積み上げられてきた結果なのですが、そこには「自然、人、神」の非常に密な関係が見事に展開されています。
中国に関していえば、この時期に「四書五経」の世界が大変見事に展開されていきました。これが世界の財産になっていると思います。
また、ギリシャ・中近東あたりでも同じような事態が見られます。ホメロスからソクラテス、それを文書化したプラトン、さらには、旧約・新約聖書。そういうものがこの時代に、人類全体の財産として非常に密な展開をしてきました。
こういうものが、今から見ると、第一の千年紀に、後世のわれわれのために残された非常に大きなものとして映ってきます。
●第二の千年紀は「人と神」による宗教と、位階秩序の時代
それを過ぎますと、紀元後数百年から千数百年までの間、通常の歴史用語によれば「中世」の世界が展開してきます。これもまた千年くらいの間になると思います。
具体的な年号として1492年とか、1500何年とか、あるいは1648年とか、特定のイベントを指摘する人たちがそれぞれにいるでしょう。しかし、この時期を人類の経験として考えると、「位階秩序」というものを非常に密な形で学んでいった時期だろうと思います。
この時期は、制度化された「宗教」という形で「人と神」の関係が展開したことによっても特徴づけることができます。古代と変わってきたものとしては、この時期すでに、古代には中心的なものだった「自然」が、少し落ち始めた時代かなとも思います。おそらくそれとペアになっているのかもしれませんが、人間社会の位階秩序に関しては、非常に密な学びをしてきた千年間だったように思います。
●第三の千年紀は「民族国家」と「経済成長」の時代
千数百年以降の状況は、例えば日本の歴史などでは「近世、近代、現代」という表現を取ったりしますが、これは全部「近代」と言っていいだろうと思います。確証はないのですが、おそらくこの時期も千年くらいは続くかもしれないので、第三の千年紀と呼んでいいだろうと思います。
われわれは、その第三の千年紀の真っ只中、ちょうど真ん中あたりにいる。今はそういう歴史状況だと思います。
この第三の千年紀を特徴づけるのは、それまでになかった二つのものです。一つは「民族国家」、もう一つは「経済成長」です。それまでの歴史になかった民族国家と経済成長の持つプラスとマイナスがトータルに展開されていくのが、第三の千年紀の時代だろうということです。
●「民族国家」という側面から、現在の国々を眺めると
例えば、民族国家という側面とはどういう状況なのか、見てみますと、民族国家は、英語では“Nation State(ネイション・ステイト)”と言いますが、それにまだなりきらない、なろうとしている多くの国がある一方、ネイション・ステイト(民族国家)真っ只中の国もあり、そこから卒業し始めている国もあります。
第三の千年紀の真っ只中ですから、当然その三つが混在しているのが今の世界です。200前後ある主権国家は、今そういう状況なのだろうと思います。
民族国家になり切らない諸国は、それぞれに違った形ではありますが、多くのアフリカ諸国、あるいは中国もここに入ると思います。中国は長い歴史上初めてネイション・ステイト(民族国家)になりかかっているのですが、「ステイト(国家)」が優位していて「ネイション(国民)」にはなり切らないので、もがいている。そういう状況にあるのだ...