●中東の崩壊プロセスは、ソ連崩壊のリプレイ
皆さん、こんにちは。前の2回に引き続き、中東で起きているパラダイムシフトとも言うべき大きな変動の性格について、引き続きお話ししてみたいと思います。
前の回で私は、中東において冷戦構造が再燃しつつある可能性と、そうした構造の出現に注意を払う必要性についてお話をしました。と言いましても、中東の状況が冷戦と全く同じだと申し上げたいわけではありません。ロシアとアメリカは、シリアを踏み台にしてお互いの手打ちをしました。自らは傷つかないように、シリアのようなかたちで代理的な争いを繰り広げるようになった。イラクの国内が三つに分裂していく現在の構図は、やはりそうした流れの中で捉えなければいけないだろうということです。
そうすると、皮肉なことですが、中東の古いシステムが崩壊するさまは、あたかもソ連が崩壊していった時のプロセスを再現しているかのように見えてならないのです。
●凄絶なユーゴスラビア型をなぞる中東情勢
ソ連の崩壊では、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどの国々が自立化するのと前後して、バルト3国が分離独立しました。中央アジアではカザフスタンやウズベキスタンといった「~スタン」を名乗るイスラム・トルコ系(タジキスタンだけはイラン系)が次々に独立し、カフカース(コーカサス)では最初にアゼルバイジャンが、続いてキリスト教の歴史を背負ってきたアルメニアとグルジアという国々も独立を果たします。このようなプロセスを経て、ソ連は分解し、崩壊していきました。その廃墟の上に、新しい国家が誕生したのです。
そして今、私たちはリビアやイエメンの混迷、シリア・イラクが事実上分解していくプロセスに直面しています。これらを通して見えてくるのは、中東地域における分離・独立運動が、チェコ・スロバキアのような平和なタイプでは収まらず、ユーゴスラビアのような暴力的タイプで進行しているのではないかということです。
チェコとスロバキアは、それぞれが円満に分離することになりました。しかしユーゴスラビアは、セルビア、クロアチアをはじめ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、モンテネグロ、マケドニアなどが独立し分離していくために、非常に壮絶な闘いを必要とし、凄絶な内戦を経験しなければなりませんでした。
ユーゴスラビアはいわば中東のモデルです。いい意味ではなく、タイプが似ているという意味ですが、中東の分解プロセスは、ユーゴスラビアをなぞっていくのではないかと思われます。
●「文明の衝突」がイスラム世界内で頂点に
かつてアメリカのサミュエル・P・ハンティントン教授は、「文明の衝突」というテーゼを出しました。そのときの大きな衝突の構図は、「西欧対イスラム世界」でした。しかし、いま起きているすこぶる深刻な衝突は、イスラム世界の内部における衝突です。
西欧対イスラムの衝突もあります。あえて申しますと先日、フランスのパリやデンマークのコペンハーゲンで起きた風刺画事件等をめぐる殺人や犯罪行為は、その象徴です。しかし、より深刻なのは、今イスラム世界の中で起きているスンナ派とシーア派のイデオロギー対立、そして物理的な衝突です。
シリア・イラクで起きている衝突は一つではありません。シーア派諸派対「イスラム国(IS)」、アサド政権対IS、またイラク国内のシーア派系中央政府対IS。さらにレバノンなどにおいてはヒズボラ対IS。こうした対立が、あちこちで起きています。スンナ派とシーア派の対立は、歴史上まれにみる特異なかたちをとってきましたが、現在そのクライマックスに達しています。これが問題の一つのポイントです。
●「アラブの春」の失敗と米国流民主主義の敗北
「アラブの春」を起こした国々の多くにおいて、民主化のプロセスは挫折し、失敗に終わっています。それがイスラム過激派に門戸を開くかたちとなり、彼らの活動を発展させることになりました。
前回のお話で私は「露骨な植民地主義がなくなっても、中東情勢に大国が影響を振るおうとするもくろみは変わっていない」と申し上げました。その冠たる存在は、やはりアメリカです。他の社会に対して、アメリカは民主化や民主的価値を何とかして導入しようと努力しましたが、結局押し付けることはできないことが、今や証明されたのです。
アメリカが奉ずる「ジェファーソン流民主主義」による民主的価値を先天的に欠く人々の中にあっては、彼らが考えるような民主主義の下に人々を凝集・集結させることは難しく、むしろ不可能であると示したのが、この間の現実だったと言えるのではないでしょうか。
●中東地図を書き換えるのはクルドとスンナ派か?
将来の中東地図について確実に言えることは、あと数十年もしないうちに...