第2話では七代目と八代目の市川團十郎に光を当てる。七代目は寛政3年(1791年)に生まれて安政6年(1859)に亡くなっており、八代目は文政6年(1823年)に生まれ、嘉永7年(1854年)に亡くなっている。江戸後期から幕末にかけて活躍をした親子だが、七代目は「歌舞伎十八番」を選定するなど現代へつながる歌舞伎の路線を決定づけた人物であり、しかも幕府の弾圧に果敢に立ち向かった人でもあった。一方の八代目は、堀口氏いわく「江戸時代で一番モテた」人物だというが、32歳で謎の自殺を遂げる。だが、その死に際して出された「死に絵」からも八代目の圧倒的な人気が伝わってきて……。江戸時代における市川團十郎の活躍と、現代につながる意義を深掘りする。堀口茉純氏の『歌舞伎はスゴイ』(PHP新書。https://amzn.asia/d/hj7N07g)をベースに解説。(全4話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●「歌舞伎十八番」の選定…現代の歌舞伎を決定づけた七代目
―― 七代目(市川團十郎)ということになるのですが、七代目になるとお生まれが寛政3年(1791年)。それで、お亡くなりになるのが、皆さんもお聞き及びだろうと思う、あの安政(という元号)の6年(1859年)ということで、もうだいぶ江戸時代も後ろのほうになってきたというところですね。この七代目の團十郎さんというと、どんな役割を果たされた方になるのでしょうか。
堀口 この人はもう、現代の歌舞伎の路線を決定づけたような方です。というのは七代目が活躍していた時期は、歌舞伎も良かったのですが、他の芸能もどんどん、たとえば落語だったり講釈だったり、歌舞伎以外の芸能も良かった時代なんですね。だからここに埋もれてしまってはいけないということで、「歌舞伎は、もうずっと歴史があるものなんだ」「1つの権威ある伝統的な芸能なんだ」ということを打ち出すことをやったのです。
その象徴的なことは「歌舞伎十八番」の選定です。市川團十郎家の芸をまとめまして、「こういうものなんだ」ということをどんどん自分が体現していくことをやっていきました。
と同時に、幕府の娯楽への締め付けが厳しくなる時代だったのですが、この方はわりとめげずに、「いや、歌舞伎がそんな不景気なことやっていたらいかんだろう」ということで、わりと豪華な華やかな世界観をやり続けた。そのことによって、やっぱり幕府から目の敵にされて……というように、どちらも負けないというせめぎ合いがあったのが七代目ですね。
―― まさに反骨精神ですね。
堀口 はい。おっしゃる通り。
―― しかも、このときはちょうど天保の改革の時期で、幕府は前の享保の改革もそうですけれども、改革になるとだいたい歌舞伎いじめが始まるというところですね。
堀口 そうですね。おっしゃる通りで、歌舞伎というものは庶民の娯楽の象徴だったわけですよね。で、江戸時代の改革というものは、「そういった娯楽なんかは、けしからん」「経済を引き締めるために、そういう娯楽なんかやっちゃダメだ」というのが幕府の立場でしたから、やっぱりいわゆる三大改革といわれるような改革の時代は、歌舞伎にとってはかなり厳しい時代だった。まさにその時期に活躍されていたのが七代目、八代目ということになります。
―― この七代目のときに浅草に移転したり。
堀口 ...