日本陸軍の中国専門家として活躍した根本博中将は、昭和19年(1944年)11月、対ソ戦を見据えて駐蒙軍司令官に就任した。当時、彼の赴任した内蒙古には4万人もの日本人居留民が暮らしていた。昭和20年(1945年)8月、ソ連軍が日ソ中立条約を破って侵攻を開始した際、根本は軍上層部からの「武装解除命令」に抗い、日本人居留民を守るための「戦後の戦い」への決断を下す。今回のシリーズ講義では、徹底した事前準備と毅然たる決断によって多くの同胞の命を救い、国民を守るという軍人の本義を貫いた根本の行動の真相と、その緊迫したやりとりの舞台裏に迫る。(全4話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
昭和の名将・根本博…内蒙古・終戦後の戦い
ソ連軍から在留日本人4万人を守れ…内蒙古での「戦後」の激闘
昭和の名将・根本博…内蒙古・終戦後の戦い(1)軍人の本義を貫いた根本博中将
2.武装解除の「厳命」を守るか、戦って在留邦人の「生命」を守るか
2026年7月24日配信予定
3.「諸君、私を戦犯にするというが如きは児戯に類することである」
2026年7月30日配信予定
4.情報を基にいかに決断するか…その深い葛藤と「南泉猫を斬る」
2026年7月31日配信予定
時間:13分32秒
収録日:2019年7月30日
追加日:2026年7月23日
収録日:2019年7月30日
追加日:2026年7月23日
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≪全文≫
●根本博の「再生記念日」…第一次南京事件で大怪我を負う
―― 皆様、こんにちは。今回も「令和の今こそ語り継ぎたい昭和の名将たち」ということで、門田隆将先生、早坂隆先生からお話を伺いたいと思います。先生方、どうぞよろしくお願いいたします。
前回は樋口季一郎についてのお話ということでいただきましたけれど、今回は根本博のお話を伺えればと思っております。
根本につきましては、門田先生がこちらの『この命、義に捧ぐ――台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社/角川文庫)というご本で取り上げられて。根本はそこまで知名度があったということではなかったですよね。
門田 なかったですね。ちなみに、この人は福島県の、今の須賀川(出身)なのです。当時は岩瀬郡仁井田村というところですけれど、その須賀川に行って、「根本さんの故郷の元の仁井田村まで行ってほしい」と取材の流れで何台かのタクシーの運転手と話しましたが、誰も知らなかったですね。地元でも誰も知らない。そのぐらい、根本のことは知られていなかったですね。
―― ある意味で、忘れられてしまったということですね。今お話がありましたけれど、ご出身が福島県ということで、樋口が明治21年(1888年)の生まれなのですけれど、根本は三つ下の明治24年(1891年)のお生まれと。
門田 陸士は23期だから、2期違うのですね。
早坂 樋口は21期ですからね。2期違いますね。
―― 陸軍士官学校を明治44年(1911年)に卒業されて、23期ということになります。その後、陸軍大学校に入校されたのが大正8年(1919年)で、卒業されたのが大正11年(1922年)ということですね。こちらは陸軍大学校34期ということになるかと思います。その後、根本は基本的には、この方も情報系といいますか。
門田 そうですね。中国の専門といっていいでしょう。中国課長をはじめ、陸軍省や参謀本部なので、中国畑です。
―― 中国の要人、軍人とも非常に幅広い交流を持っていたというのが、この戦後につながっていくことになるわけです。
ここでざっと経歴をまた追ってまいります。陸軍大学校を卒業されて、翌年、大正12年(1923年)の12月には、参謀本部の支那課支那班という、まさに今のお話のところに派遣されました。大正15年(1926年)に南京駐在武官になり、第一次南京事件(昭和2年〈1927〉3月)で負傷すると。
門田 そうで...
●根本博の「再生記念日」…第一次南京事件で大怪我を負う
―― 皆様、こんにちは。今回も「令和の今こそ語り継ぎたい昭和の名将たち」ということで、門田隆将先生、早坂隆先生からお話を伺いたいと思います。先生方、どうぞよろしくお願いいたします。
前回は樋口季一郎についてのお話ということでいただきましたけれど、今回は根本博のお話を伺えればと思っております。
根本につきましては、門田先生がこちらの『この命、義に捧ぐ――台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社/角川文庫)というご本で取り上げられて。根本はそこまで知名度があったということではなかったですよね。
門田 なかったですね。ちなみに、この人は福島県の、今の須賀川(出身)なのです。当時は岩瀬郡仁井田村というところですけれど、その須賀川に行って、「根本さんの故郷の元の仁井田村まで行ってほしい」と取材の流れで何台かのタクシーの運転手と話しましたが、誰も知らなかったですね。地元でも誰も知らない。そのぐらい、根本のことは知られていなかったですね。
―― ある意味で、忘れられてしまったということですね。今お話がありましたけれど、ご出身が福島県ということで、樋口が明治21年(1888年)の生まれなのですけれど、根本は三つ下の明治24年(1891年)のお生まれと。
門田 陸士は23期だから、2期違うのですね。
早坂 樋口は21期ですからね。2期違いますね。
―― 陸軍士官学校を明治44年(1911年)に卒業されて、23期ということになります。その後、陸軍大学校に入校されたのが大正8年(1919年)で、卒業されたのが大正11年(1922年)ということですね。こちらは陸軍大学校34期ということになるかと思います。その後、根本は基本的には、この方も情報系といいますか。
門田 そうですね。中国の専門といっていいでしょう。中国課長をはじめ、陸軍省や参謀本部なので、中国畑です。
―― 中国の要人、軍人とも非常に幅広い交流を持っていたというのが、この戦後につながっていくことになるわけです。
ここでざっと経歴をまた追ってまいります。陸軍大学校を卒業されて、翌年、大正12年(1923年)の12月には、参謀本部の支那課支那班という、まさに今のお話のところに派遣されました。大正15年(1926年)に南京駐在武官になり、第一次南京事件(昭和2年〈1927〉3月)で負傷すると。
門田 そうで...