●教育の基本は「定量化」という発想
―― もともと、政策研究大学院大学というのは、誰の発想からできたのですか。
白石 吉村融先生という、今はもう80歳を過ぎた先生がおられまして、この方が設立されました。もともとは埼玉大学の先生で、1960年代半ばにアメリカに往訪されたのですが、その当時、行動主義革命という概念がありまして、これは何かというと、いろいろなデータをできる限り統計的に処理して物事を考えるという、オペレーションズ・リサーチのような考え方です。
もちろん、定量的に考えられないことはいくらでもありますが、定量的にできることは、どんどん定量化していこう、という発想です。そして、そのような発想で政策を考え、新しいタイプの政策人材を教育するということが、ちょうど当時のアメリカで始まっていて、それが日本でも必要だということで政策研究大学院大学が始まりました。吉村先生が本当に一生を懸けてこの大学を創られたのです。
―― すごいですね。
白石 1997年にこの大学ができまして、今の六本木に移ってきたのは、2005年です。ここはご承知の通り、戦前は二・二六事件で有名な近衛連隊があった所で、本部がここにあったのです。そして、戦後は、東京大学の生産技術研究所と物性研究所がありましたが、それをうちが引き継いだということになりました。
ですから、日本人にはあまり言いませんが、特に外国人の要人が来たときには、「かつてここはクーデターの本拠地だった。しかし、われわれは平和裏にやる」という言い方をしています。
●ODAも下火になり、教育モデルの転換が必要になる
白石 では、結局、どうして1997年に政策研究大学院大学ができたのかというと、ご承知の通り、当時はまだODA(Official Development Assistance、政府開発援助)が非常に盛んでした。
―― 日本が圧倒的に援助していた時代ですね。
白石 そして、やはり日本の力もまだ非常に強い時代でした。そのような中で、ODAのお金を使って、外国の中堅の官僚に日本の成功体験や、少しは失敗体験も教えましょう、というのが、最初の発想だったのです。
私自身が学長になったのは2011年ですが、その頃になりますと、当然のことながら、日本のODAはもちろん下がっていますし、日本の力も残念ながら長期的にはなかなか上がる方向には行きません。しかも、ODAで学生を呼んできて教育するというモデルは、もはや中国や韓国が完全に取り入れていて、このまま同じ競争をしていると、明らかに体力勝負で負けていくということが見えていたのです。
●GRIPSの二つの特長-定量的考え方に加え、アジア地域全域の見方を教える
白石 そこで、私が考えたことがいくつかあります。一つは、中国に行ったら中国のことは勉強できるけれども、日本のことは分かりませんね。しかし、日本に来れば、日本のことはもちろん学べますし、中国や韓国や東南アジアについても分かります、ということで、地域的な見方を非常に強調したということです。
二つ目は、これはどこでもやっていることですが、例えば、アメリカのケネディスクールでも、あるいは、SAIS(ジョンズホプキンス大学ポール・H・ニッツェ高等国際関係大学院)でも、ベースにはやはり定量的なものの考え方や経済学的なものの考え方がありますので、ここはきちんと教えるということです。この二つをこの4年間でやってきました。
●三番目の特長は、柔軟なカリキュラム
白石 やってみて気がついたことは、世の中のスピードがこれだけ速くなってきていますので、外国の政府も、「1年も2年も優秀なスタッフを外に出す余裕がない」「それよりはむしろ、できる限り柔軟に、いろいろなことを教育してほしい」と言うのです。
これは、ミャンマーのテイン・セイン大統領が、2012年にお会いした時に、私にはっきりと言ったのです。GRIPS(政策研究大学院大学)のことを調べられて、「非常に面白い大学だが、シニアの官僚、局長クラスは1週間も出せないし、課長クラスも、どんなに出せたとしても数週間だ」、と言うのです。
また、うちが基本的に受け入れているのは30代半ばの人たちですが、そのあたりの中堅官僚でも1年は無理だ、ということでした。だから、「学位などはいらないので、もっと柔軟にスタッフを教育してくれないか」ということなのです。
ですから、2年ぐらい前から、先ほど申しましたような世界中どこでも学べるベースと、アジアが学べるということにプラスして、できる限り柔軟に研修をやり、もし優秀な人であれば学位も取れるような、そのような教育の仕組みをつくろうということで始めたのです。このコンビネーションが、結構うまくいっています...