●中国漁船衝突事件への対応は正しかったか
―― 民主党の時代に向こうの漁船が来て、巡視船に体当たりした事件がありました。不法侵入だから当然逮捕したものの、あの時、民主党政権はすぐに船員も船長も帰してしまいましたね。あれは、今日の先生の戦略のお話にあった「不敗不戦」の定義からすると、やはり正解だったということなのでしょうか。
吉田 正確に申し上げますと、あの時は「すぐに帰さなかったから失敗した」のです。あの事件をもう一度振り返りますと、あれは公務執行妨害で逮捕しました。公務執行妨害による逮捕は、海上保安庁のレギュレーションとしては適切でした。逮捕の後の経緯について、実は私はあの頃と今回慶應義塾大学で教鞭をとる際に、もう一度シミュレーションして、勉強し直してみました。
事件が起こった9月7日は、小沢一郎氏と菅直人氏の代表選が行われていた最中だったため、仙谷由人官房長官が指揮をとり、「政治的な空白期間」を埋めました。彼は弁護士で、法律のプロですから、法案に従って粛々と手続きを進めたのです。
あの時の中国は、毎日のように連続してカードを切ってきました。夜中にわざわざ大使を呼びつけるなどの行為があって、レベルを上げながら各所にメッセージが送られていたのです。
●必要とされていたのは政治的配慮
吉田 その源は、小泉政権の頃に起きた中国人活動家の尖閣上陸事件にありました。彼らを解放する際に、小泉政権は明確に「政治的な配慮による」と言いました。それに比べて2010年の場合は「政治的に配慮がない」というのが中国側の見方になるのです。
中国では「日本の陰謀だ」という説も飛び出したぐらいです。結局、19日に船長の拘留延長の決定が出ると、中国側は無視されたと思い、切ってくるカードがどんどんエスカレーションし始めます。
ただし、軍事的なカードを切るのは危ないので、水平走行の方です。先ほどの講演で触れたように、戦略をエスカレーションするにも垂直方向と水平方向があります。中国人観光団の規模を縮小したり、日本人大学生の上海万博招致の中止を通達したり、レアアースの輸出を差し止めたり、日本企業の社員を不法撮影で拘束したり。違う分野の水平軸で、エスカレーションのラダーを違う分野で上げていっていたのです。
それを全く理解できていなかったのが問題で、実はあの時に帰さなかった方が大きかったのです。
結局、船長が中国へ送還されたのは9月25日ですが、細野豪志氏が9月29日に訪中しています。彼と私は友人関係なのですが、それだけは「棺桶まで持って行く」と言って、何を話したかは教えてくれません。ですが、拘束されていた日本人社員4人については、9月30日に3人が釈放され、日本の態度に間違いがないと判断されたであろう10月9日に残りの1人が帰ってきました。
●オールソースアナリシスの不足例として
吉田 私の分析は、中国の一番の根本を読み違えたのではないか。中国では「法治」という言葉が頻出します。「法の下に」統治を行うことが強調されるのですが、「法の下」に治められていない国ほど、そういうスローガンを立てがちです。交通事故がゼロの所に交通安全のスローガンがないのと同じことですね。
どういうことかというと、中国では、法は政治より下にある。その感覚で見ると、日本がいつまでも「法に遵守して」と繰り返すと、「政治的な意図があるのだろう」と見られてしまうということです。
そういう「オールソースアナリシス(政府保有のあらゆる情報手段を活用した総合的な分析)」の不足が、あの時の失敗にはありました。詳しいことは述べませんが、当時の報道によると仙谷氏と特命チームだけで決定を下し、外務省のプロを入れなかったと言います。
その他、自民党時代にあった人間的なパイプがなくなってしまっていたことなど、さまざまな条件が重なっています。しかし、大変いい教訓をたくさん含んでいるので、慶應での実例として使わせてもらいました。
―― その意味では失敗ではなかったということですか。
吉田 いえ。逆の意味で失敗です。帰すなら、もっと早く帰せば良かったのです。それも、「政治的配慮だ。大局的な判断だ」と言って帰した方が良かったのだと思います。
●海上自衛隊と中国海軍がもし戦えば
―― もう一つ、よろしいですか。
今、例えばもしも尖閣で、日本の自衛隊と中国とが戦った場合をシミュレーションすると、「圧倒的な近代装備の違いで、日本が勝つ」と、さまざまな本に書いてあります。「中国海軍のモチベーションは低く、統制もされていないから、日本が勝つ」という説も聞いています。そのあたりは、「不戦不敗」のところで、どうなのでしょうか。
吉田 その質問はよくされるのですが、答えるのが...