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新聞と雑誌、そのジャーナリズムの違いとは?
告発型ジャーナリズムをリードしてきた『週刊文春』と『週刊新潮』。両誌の共通点は、文芸出版社系の週刊誌であること。それゆえ新聞ジャーナリズムへの視線には厳しいものがあり、門田隆将氏と花田紀凱氏は「徹底して堕落し、堕ちるところまで堕ちてしまった」と声をそろえます。
ネットの登場により、記者クラブが独占していた情報が民主化された状況を「情報ビッグバン」と名付けたのも、門田氏。以来、情報発信がマスコミに限らず、ブログやSNSに多くを頼ることとなっているのはご存じのとおりです。
「森友・加計事件」はもちろん、2014年に朝日新聞が福島第一原発吉田昌郎所長に聞き取りを行なった「吉田調書」事件、「安倍叩きキャンペーン」など、現在の新聞による情報操作は想像以上の域に達しているようです。
一方、新聞にかつてあった告発型ジャーナリズムの部分が縮小してきたのは、裁判制度のためでもあるというのが、門田氏の分析。1990年代後半から、裁判で「情報源(ネタ元)の開示」が要求されるようになり、それを拒否すると裁判で負ける事態が頻発するようになったのだそうです。
実際、花田氏は『週刊文春』編集長時代の6年間に13件訴えられ、11勝2敗だったといいます。当時は敗訴してもせいぜい100万円ぐらいだった賠償額が、現在ではけた違い。たとえば講談社が八百長を告発して相撲協会に訴えられて負けたケースでは、賠償額が4300万円に上っています。
門田氏は、そもそも週刊誌などほとんど読んだことがない人間が判決を下す裁判官になっていることを疑問視しています。2014年には小渕優子氏が『週刊新潮』の記事で経産大臣を辞職、2016年には甘利明氏が『週刊文春』の記事で経済再生担当大臣を辞職。大臣のクビが飛ぶ週刊誌への規制は裁判にしかないと判断している権力の意向もあるということです。
このスタイルは、創刊当初から『週刊新潮』は文学的であれ」という伝統を築いた斎藤十一氏の影響によるものだと言われています。一方では「金と女と事件」というコンセプトをつくった斎藤氏は、新潮社内では「天皇」とも呼ばれ、『FOCUS』創刊時には「君たち、人殺しの顔が見たくはないのか」と言ったなど、数多くの伝説を残す人物。70歳になってなお「いつも自分のことを考える。俺は何が欲しいか、読みたいか、何がやりたいかだけを考える」とインタビューに答え、2000年に86歳で心不全で倒れる直前まで雑誌作りに熱意を燃やし続けたといいます。
『週刊新潮』は新聞にできない切り口を常に求め続け、固定読者を維持してきました。その特徴を門田氏は「見識」という言葉で表します。「俺は日頃からこう思ってたんだ」「よくぞ書いてくれた」と読者に思ってもらえる「溜飲系」の記事が主流。知的好奇心に応え、自分を高め、会社で部下や同僚に「一席ぶつ」材料になってきたのが、『週刊新潮』の拠り所でした。
現在の『週刊新潮』と『週刊文春』がスキャンダル路線に走っていることを、二人の編集者は苦く感じています。また、かつてはフェイクニュースの歯止めになっていた出版社や新聞社などのメディア企業の存在が揺らいできたことにも懐疑的です。
ネット・ジャーナルが今後メインになったとして、彼らを「育てる」方法はあるのか。週刊誌が何よりも大切にしてきた「裏取り」術は継承していけるのか。雑誌にはまだまだやるべきことも、できることもあると考える二人は、人脈、信頼関係、正義感、責任感などを、週刊誌メディアの無形財産として、次世代に伝えたいと願っています。
新聞の時代は終わったのか?
新聞には「報道」と「論評」の二つの面があるというのは、元『週刊新潮』の門田氏です。朝日を筆頭に、今の新聞が自分の主義主張にしたがってストレートニュース自体をねじ曲げているというのが、氏の考える問題点。月刊Hanada双書で小川榮太郎氏の『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』を2017年秋に出版、『月刊Hanada 2月号』では「朝日虚報と全面対決!」の大特集を組んだ花田氏の思いは言うまでもありません。ネットの登場により、記者クラブが独占していた情報が民主化された状況を「情報ビッグバン」と名付けたのも、門田氏。以来、情報発信がマスコミに限らず、ブログやSNSに多くを頼ることとなっているのはご存じのとおりです。
「森友・加計事件」はもちろん、2014年に朝日新聞が福島第一原発吉田昌郎所長に聞き取りを行なった「吉田調書」事件、「安倍叩きキャンペーン」など、現在の新聞による情報操作は想像以上の域に達しているようです。
権力と闘うのは『週刊文春』と『週刊新潮』だけ?
花田氏は、大新聞の劣化を「ハングリー精神」がなくなり、ジャーナリズムの根本精神である「それはちょっと違うんじゃないか」という気持ちで掘り下げることがなくなったからではないかと言います。一方、新聞にかつてあった告発型ジャーナリズムの部分が縮小してきたのは、裁判制度のためでもあるというのが、門田氏の分析。1990年代後半から、裁判で「情報源(ネタ元)の開示」が要求されるようになり、それを拒否すると裁判で負ける事態が頻発するようになったのだそうです。
実際、花田氏は『週刊文春』編集長時代の6年間に13件訴えられ、11勝2敗だったといいます。当時は敗訴してもせいぜい100万円ぐらいだった賠償額が、現在ではけた違い。たとえば講談社が八百長を告発して相撲協会に訴えられて負けたケースでは、賠償額が4300万円に上っています。
門田氏は、そもそも週刊誌などほとんど読んだことがない人間が判決を下す裁判官になっていることを疑問視しています。2014年には小渕優子氏が『週刊新潮』の記事で経産大臣を辞職、2016年には甘利明氏が『週刊文春』の記事で経済再生担当大臣を辞職。大臣のクビが飛ぶ週刊誌への規制は裁判にしかないと判断している権力の意向もあるということです。
『週刊新潮』の拠り所、「見識」を築いた齋藤十一
『週刊新潮』がつくったジャーナリズムの型を門田氏は「藪の中スタイル」を呼びます。数多くの関係者を張り込み、追い詰め、ひたすら証言を取る。当局の見方や動きも、取材先の一つにすぎません。さまざまな関係者の証言によってデスク(アンカーマン)が構成する記事では、「真相は藪の中」だということです。このスタイルは、創刊当初から『週刊新潮』は文学的であれ」という伝統を築いた斎藤十一氏の影響によるものだと言われています。一方では「金と女と事件」というコンセプトをつくった斎藤氏は、新潮社内では「天皇」とも呼ばれ、『FOCUS』創刊時には「君たち、人殺しの顔が見たくはないのか」と言ったなど、数多くの伝説を残す人物。70歳になってなお「いつも自分のことを考える。俺は何が欲しいか、読みたいか、何がやりたいかだけを考える」とインタビューに答え、2000年に86歳で心不全で倒れる直前まで雑誌作りに熱意を燃やし続けたといいます。
『週刊新潮』は新聞にできない切り口を常に求め続け、固定読者を維持してきました。その特徴を門田氏は「見識」という言葉で表します。「俺は日頃からこう思ってたんだ」「よくぞ書いてくれた」と読者に思ってもらえる「溜飲系」の記事が主流。知的好奇心に応え、自分を高め、会社で部下や同僚に「一席ぶつ」材料になってきたのが、『週刊新潮』の拠り所でした。
退職後余命5年。凄まじいプロ軍団はネット時代をどう生きる?
門田氏が新潮社に入社した1980年当時、編集部を定年退職した人たちの余命は「5年」と言われていたそうです。ローテーションがあるとはいえ、毎週の校了に向けた不摂生な生活。5~6時間もの討論をいとわず、最後まで粘る気力と体力で、生を燃焼し尽くしたのでしょう。そのような凄まじいプロ軍団が、個人から個人へと伝えていったのが、闘う週刊誌のノウハウです。現在の『週刊新潮』と『週刊文春』がスキャンダル路線に走っていることを、二人の編集者は苦く感じています。また、かつてはフェイクニュースの歯止めになっていた出版社や新聞社などのメディア企業の存在が揺らいできたことにも懐疑的です。
ネット・ジャーナルが今後メインになったとして、彼らを「育てる」方法はあるのか。週刊誌が何よりも大切にしてきた「裏取り」術は継承していけるのか。雑誌にはまだまだやるべきことも、できることもあると考える二人は、人脈、信頼関係、正義感、責任感などを、週刊誌メディアの無形財産として、次世代に伝えたいと願っています。
<参考サイト>
・「『週刊文春』と『週刊新潮』 闘うメディアの全内幕 」(花田紀凱・門田隆将著、PHP新書)
・「『週刊文春』と『週刊新潮』 闘うメディアの全内幕 」(花田紀凱・門田隆将著、PHP新書)
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