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学校から「二宮金次郎」像が消えている理由
全国の小学校で、老朽化や学校立て直しなどに伴い、二宮金次郎像が撤去される現象が進んでいるといいます。
その背景には、「児童の教育方針にそぐわない」「子どもが働く姿を勧めることはできない」「戦時教育の名残という指摘」「『歩いて本を読むのは危険』という保護者の声」などもあるといいます(『毎日新聞』2012年1月25日付)。
二宮金次郎像は本当に、時代にそぐわなくなってしまったのでしょうか。今回は、「二宮金次郎像」の今昔について、考察してみたいと思います。
そして、二宮金次郎像が座った理由を「歩きながらスマートフォンを操作する行為を肯定しかねない懸念や、歩いて本を読むのは危険だなどという市民の声も聞き座像にした」と、寄贈した団体代表のコメントで紹介しています(同書)。
ところで、そもそもなぜ、二宮金次郎像は、全国の小学校に設置されるようになったのでしょうか。
二宮金次郎亡き後、高弟で娘婿でもあった富田高慶が、二宮金次郎の徳行や言論を記録した『報徳記』をまとめました。明治の世になり、『報徳記』を読まれた明治天皇は、宮内省に印刷させて県知事などに与えられました。これにより、二宮金次郎の名と業績が、全国に周知されたのです。
また、明治を代表する思想家でキリスト教伝道者でもある内村鑑三は、英文で書いた外国人向けの人物伝『代表的日本人』(岩波文庫)に、日本を代表する五人のうちの一人として、二宮金次郎(尊徳)を「農民聖者」として取り上げています。
そして明治の大文豪の幸田露伴が、少年少女のための文学として『二宮尊徳翁』を執筆。明治24年に出版され、この本の挿絵に「薪を背負って読書をしながら歩く金次郎少年」が用いられたことによって、イメージが定着していったと考えられています。
さらには明治から昭和初期にかけて「修身」の教科書に一貫して取り上げられ、戦前の「尋常小学校唱歌」では「手本は二宮金次郎」と歌われるまでになったのです。
1.昭和3年に昭和天皇の即位式(御大典)にともなう記念行事が各地で開かれた。
2.神戸証券取引所理事長の中村直吉夫人が御大典記念事業として、全国83カ所へ二宮金次郎像を寄付。
3.以後、銅器生産日本一の富山県高岡市の鋳造業者が商機とみて、二宮金次郎像を全国の小学校市場のための産業に発展させる。
4.昭和3・4年から約10年間、全国の小学校で二宮金次郎像を設置することが一種の流行の様相を呈した。
こうした時代の流行によって、全国の小学校に二宮金次郎像が広まっていきました。しかしその後、太平洋戦争中には武器の原料とするため金属供出とされたり、上記で述べたような理由で撤去されたりしてきたのです。
そう考えると、今の時代にそぐわない「勤労少年」であったことや「ながらスマホ」を連想するような姿に描かれたことなど二宮金次郎の本質や偉業にとっては小さなことで、それをもって二宮金次郎を遠ざけてしまうのは、もったいないのではないでしょうか。
二宮本家に生まれ、「金次郎研究」をされている二宮康裕氏は、著書『日記・書簡・仕法書・著作から見た二宮金次郎の人生と思想』において、「薪山から薪を伐りだしたことと、書籍購入の記録も考慮すると、『金次郎像』の原型はこの時の金次郎の姿にあったのではなかろうか。<中略>しかし薪の販売は『金次郎像』が示す少年金次郎ではなくて、二五歳の青年金次郎だったのである」と書かれています。
私たちがよく知る二宮金次郎像も、時代やその時代に生きる人々の希望に応じて、少年に姿を変えていたのかもしれません。目に見える物は時代に応じて形を変えていきます。しかし変わらずに伝えられることや伝えていきたいことは、時を超えてあるはずです。
二宮金次郎の出身地である神奈川県の小田原市や、ゆかりの地である栃木県の真岡市や日光市などには、少年姿の二宮金次郎像ではなく、立派な大人となった姿の「二宮尊徳像」もあります。二宮金次郎像や二宮尊徳像を見たり考えたりするとき、ぜひその奥にある二宮金次郎の精神や像を作り守ってきた人々の心意気にも、おもいを馳せてみてください。
その背景には、「児童の教育方針にそぐわない」「子どもが働く姿を勧めることはできない」「戦時教育の名残という指摘」「『歩いて本を読むのは危険』という保護者の声」などもあるといいます(『毎日新聞』2012年1月25日付)。
二宮金次郎像は本当に、時代にそぐわなくなってしまったのでしょうか。今回は、「二宮金次郎像」の今昔について、考察してみたいと思います。
二宮金次郎像が「ながらスマホを助長」!?
時代の声を反映するように、新しいタイプの二宮金次郎像が設置される例もあります。「二宮金次郎像」研究家の河野哲弥氏によると、2016年に栃木県の小学校で新しく披露された二宮金次郎像は「背中に薪を背負ったまま切り株に腰をかけ、読書にふける」姿だったといいます(『SAPIO』2016年12月号:小学館)。そして、二宮金次郎像が座った理由を「歩きながらスマートフォンを操作する行為を肯定しかねない懸念や、歩いて本を読むのは危険だなどという市民の声も聞き座像にした」と、寄贈した団体代表のコメントで紹介しています(同書)。
ところで、そもそもなぜ、二宮金次郎像は、全国の小学校に設置されるようになったのでしょうか。
二宮金次郎は明治天皇も認めた「代表的日本人」
二宮金次郎は江戸後期の農政家であり思想家です。金次郎は幼名または通称で、本名は尊徳といいます。農家に生まれ、苦労しながら没落した家を再興し、その手腕を買われて諸藩ならびにおよそ600もの村を復興。徹底した実践主義者で、農村の生産力に応じて分度を定めて勤倹を説き、その結果としての富を譲り合うという社会的行為に導く「報徳思想」を広め、たくさんの人に慕われたといいます。二宮金次郎亡き後、高弟で娘婿でもあった富田高慶が、二宮金次郎の徳行や言論を記録した『報徳記』をまとめました。明治の世になり、『報徳記』を読まれた明治天皇は、宮内省に印刷させて県知事などに与えられました。これにより、二宮金次郎の名と業績が、全国に周知されたのです。
また、明治を代表する思想家でキリスト教伝道者でもある内村鑑三は、英文で書いた外国人向けの人物伝『代表的日本人』(岩波文庫)に、日本を代表する五人のうちの一人として、二宮金次郎(尊徳)を「農民聖者」として取り上げています。
そして明治の大文豪の幸田露伴が、少年少女のための文学として『二宮尊徳翁』を執筆。明治24年に出版され、この本の挿絵に「薪を背負って読書をしながら歩く金次郎少年」が用いられたことによって、イメージが定着していったと考えられています。
さらには明治から昭和初期にかけて「修身」の教科書に一貫して取り上げられ、戦前の「尋常小学校唱歌」では「手本は二宮金次郎」と歌われるまでになったのです。
昭和初期に全国の小学校に設置された二宮金次郎像
しかし、「教科書の定番の流れはできたが、銅像が普及するのはもう少しのちで大正時代末から昭和初期にかけてであった」と、猪瀬直樹氏は著書『二宮金次郎はなぜ薪を背負っているのか?』(文春文庫)で述べており、その理由を次の4段階で説明しています。1.昭和3年に昭和天皇の即位式(御大典)にともなう記念行事が各地で開かれた。
2.神戸証券取引所理事長の中村直吉夫人が御大典記念事業として、全国83カ所へ二宮金次郎像を寄付。
3.以後、銅器生産日本一の富山県高岡市の鋳造業者が商機とみて、二宮金次郎像を全国の小学校市場のための産業に発展させる。
4.昭和3・4年から約10年間、全国の小学校で二宮金次郎像を設置することが一種の流行の様相を呈した。
こうした時代の流行によって、全国の小学校に二宮金次郎像が広まっていきました。しかしその後、太平洋戦争中には武器の原料とするため金属供出とされたり、上記で述べたような理由で撤去されたりしてきたのです。
「二宮金次郎像」と「二宮尊徳像」
各地で二宮金次郎像が消えている理由は様々あると思いますが、一番大きな理由は「時代の流れ」かもしれません。しかし、二宮金次郎という人物は、子どもだけのお手本にしておくにはもったいないほどの、現代においても学ぶところの多くある偉人です。そう考えると、今の時代にそぐわない「勤労少年」であったことや「ながらスマホ」を連想するような姿に描かれたことなど二宮金次郎の本質や偉業にとっては小さなことで、それをもって二宮金次郎を遠ざけてしまうのは、もったいないのではないでしょうか。
二宮本家に生まれ、「金次郎研究」をされている二宮康裕氏は、著書『日記・書簡・仕法書・著作から見た二宮金次郎の人生と思想』において、「薪山から薪を伐りだしたことと、書籍購入の記録も考慮すると、『金次郎像』の原型はこの時の金次郎の姿にあったのではなかろうか。<中略>しかし薪の販売は『金次郎像』が示す少年金次郎ではなくて、二五歳の青年金次郎だったのである」と書かれています。
私たちがよく知る二宮金次郎像も、時代やその時代に生きる人々の希望に応じて、少年に姿を変えていたのかもしれません。目に見える物は時代に応じて形を変えていきます。しかし変わらずに伝えられることや伝えていきたいことは、時を超えてあるはずです。
二宮金次郎の出身地である神奈川県の小田原市や、ゆかりの地である栃木県の真岡市や日光市などには、少年姿の二宮金次郎像ではなく、立派な大人となった姿の「二宮尊徳像」もあります。二宮金次郎像や二宮尊徳像を見たり考えたりするとき、ぜひその奥にある二宮金次郎の精神や像を作り守ってきた人々の心意気にも、おもいを馳せてみてください。
<参考文献>
・「二宮金次郎像:勤勉精神いまは昔、各地で撤去相次ぐ」(毎日新聞、2012年1月25日付)
・「二宮金次郎像に「歩きスマホ」「虐待」のクレームは的外れ」(SAPIO、2016年12月号)
・『二宮金次郎はなぜ薪を背負っているのか?』(猪瀬直樹著、文春文庫)
・『日記・書簡・仕法書・著作から見た二宮金次郎の人生と思想』(二宮康裕著、麗澤大学出版会)
・「二宮金次郎像:勤勉精神いまは昔、各地で撤去相次ぐ」(毎日新聞、2012年1月25日付)
・「二宮金次郎像に「歩きスマホ」「虐待」のクレームは的外れ」(SAPIO、2016年12月号)
・『二宮金次郎はなぜ薪を背負っているのか?』(猪瀬直樹著、文春文庫)
・『日記・書簡・仕法書・著作から見た二宮金次郎の人生と思想』(二宮康裕著、麗澤大学出版会)
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