社会人向け教養サービス 『テンミニッツ・アカデミー』 が、巷の様々な豆知識や真実を無料でお届けしているコラムコーナーです。
「合理的失敗」という不条理に陥らないために
人間の限定合理性が「合理的失敗」を生む
企業や組織の改革の難しさの一つに、「皆が問題意識をもって臨んでいる、努力もしているのになかなか目に見える成果が出ない」ということが挙げられます。そのような「失敗」の背景には、えてして「こうすればきっと、よからぬ事態になる」と分かっていながらそうせざるを得なかった。あるいは、よい方向に改革をしようと努力しているのに失敗してしまうということが、しばしばあるのです。経営学者、商学博士で慶應義塾大学商学部・大学院商学研究科教授の菊澤研宗氏は、「合理的に改革を進めているのに失敗する現象」を「改革の不条理」と命名しています。人間というのは理性で完璧に判断できる完全合理性と全くの無知によって過ちをおかしてしまう完全非合理性の間にある存在で、この「限定合理性」ゆえに、「合理的に失敗する」という不条理が生じてしまうのだそうです。
心理的バイアスにより起こる合理的失敗
菊澤氏の著書『改革の不条理 日本の組織ではなぜ改悪がはびこるのか』では、合理的に失敗する理由を取引コスト理論、エージェンシー理論、所有権理論、プロスペクト理論の4つで分析しています。なかでも興味深いのは、行動経済学の観点から人間の不条理な行動を説明しようとするプロスペクト理論です。これは分かりやすくいえば、人の行動には心理的バイアスがかかるということ。人間の心理には、物事を認識し評価するときに参考にする心理的基準点(参照点)があります。その参照点よりプラスの状態にあれば、積極的行動でプラスの成果を得ても満足度はさほど大きくならず、もしマイナスの結果になるとその人の心理的喜びは大幅に低下します。逆に現状がマイナスの状態であれば、行動の結果ちょっとでもプラスになればその満足度は非常に大きく、多少失敗してもさほどダメージには感じません。
この心理的バイアスが働いて、ある状態では行動を起こさずに現状維持に固執して保守的になり、現状に不満な人はリスクが高くても変革を起こそうとするのです。改革の際には、こうした人間心理も十分に把握しておくべきなのですが、なかなかそうはいかないというのが実情です。
プロスペクト理論でみる「希望の党」の衆議院選惨敗
改革の不条理の具体例として、菊澤氏は2016年都知事選から2017年都議会選の勝利を経て、同年秋の衆議院選で惨敗した一連の流れを、プロスペクト理論から分析しています。最大のポイントは、都民と国民の参照点が異なっていたことです。舛添前都知事の経費に関する問題が明るみに出て、その内容にも舛添氏の答弁にも辟易としていた東京都民の心理がマイナスの状態であったため、「せめて少しでも状況が好転するのなら」と変革に期待をし、それが都知事選、都議会選で小池百合子氏と「都民ファーストの会」の躍進に結びつきました。一方、衆議院選で投票する国民心理は、アベノミクス効果で日本の経済状況がそれほど悪くはなっていなかったため、多くの国民があえての変革を求めず、現状維持の保守的な心理が働いて、票は自民党有利に動きました。
つまり、菊澤氏は、小池氏の衆院選での失敗(希望の党の惨敗)を、「国民が現政権を支持したというよりも、たとえ現状が必ずしもよい状態ではないとしても、この現状を維持した方が国民にとって心理的に合理的という不条理な状況にあった」ことにある、としています。国政に対しても改革のメスを入れようとした小池氏ですが、プロスペクト理論をふまえるなら、国民の政権に対する見方、心理状態をもっと慎重に考えるべきだったということです。
不条理を超える鍵は「人間力」
この不条理を超えるために、菊澤氏は制度による解決と制度に依存しない解決の2種を提言しています。どちらの解決方法も重要なのですが、不条理を超える鍵となるのは制度に依存しない解決方法である「人間力」だと菊澤氏は言います。行動の原因が、自分の外ではなく自分自身にあるとして、自律的行動をとれるリーダー、またそのリーダーを支える自律的メンバーが、事態の改悪の手前で予防的に動く。このことが内にも外にも開かれた理性的、合理的組織を可能にするというのです。自律的人間であれば、全体にとっては時に「空気に水をさす」ような耳の痛い意見であっても正当に発言するはずです。この啓蒙的行為が、個々人がそれぞれの理由で合理的であろうとして、結果的には全体の改革に失敗するという不条理を未然に防ぐのです。
「よかれと思ってやったことが失敗を招く」という不条理に陥らないためには、自己と他者の関係を客観的に観察し、忖度、根回し、腹芸といった日本の「お家芸」に走らない意思が必要となってくるのではないでしょうか。
<関連サイト>
慶應義塾大学商学部 菊澤研宗研究会
http://kikuzawazemi.wixsite.com/keio
菊澤研宗氏のブログ
http://kikuzawa.cocolog-nifty.com/blog/
慶應義塾大学商学部 菊澤研宗研究会
http://kikuzawazemi.wixsite.com/keio
菊澤研宗氏のブログ
http://kikuzawa.cocolog-nifty.com/blog/
~最後までコラムを読んでくれた方へ~
自分を豊かにする“教養の自己投資”始めてみませんか?
明日すぐには使えないかもしれないけど、10年後も役に立つ“大人の教養”を 5,500本以上。
『テンミニッツ・アカデミー』 で人気の教養講義をご紹介します。
ヒトは共同保育の動物――生物学からみた子育ての基礎知識
ヒトは共同保育~生物学から考える子育て(1)動物の配偶と子育てシステム
「ヒトは共同保育の動物だ」――核家族化が進み、子育ては両親あるいは母親が行うものだという認識が広がった現代社会で長谷川氏が提言するのは、ヒトという動物本来の子育て方法である「共同保育」について生物学的見地から見直...
収録日:2025/03/17
追加日:2025/08/31
日本の弾道ミサイル開発禁止!?米ソとは異なる宇宙開拓の道
未来を知るための宇宙開発の歴史(7)米ソとは異なる日本の宇宙開発
日本は第二次大戦後に軍事飛行等の技術開発が止められていたため、宇宙開発において米ソとは全く違う道を歩むことになる。日本の宇宙開発はどのように技術を培い、発展していったのか。その独自の宇宙開拓の過程を解説する。(...
収録日:2024/11/14
追加日:2025/09/02
天平期の天然痘で国民の3割が死亡?…大仏と崩れる律令制
「集権と分権」から考える日本の核心(3)中央集権と六国史の時代の終焉
現代流にいうと地政学的な危機感が日本を中央集権国家にしたわけだが、疫学的な危機によって、それは早い終焉を迎えた。一説によると、天平期の天然痘大流行で3割もの人口が減少したことも影響している。防人も班田収授も成り行...
収録日:2025/06/14
追加日:2025/09/01
世界は数学と音楽でできている…歴史が物語る密接な関係
数学と音楽の不思議な関係(1)だれもがみんな数学者で音楽家
数学も音楽も生きていることそのもの。そこに正解はなく、だれもがみんな数学者で音楽家である。これが中島さち子氏の持論だが、この考え方には古代ギリシア以来、西洋で発達したリベラルアーツが投影されている。この信念に基...
収録日:2025/04/16
追加日:2025/08/28
自由な多民族をモンゴルに統一したチンギス・ハーンの魅力
モンゴル帝国の世界史(2)チンギス・ハーンのカリスマ性
なぜモンゴルがあれほど大きな帝国を築くことができたのか。小さな部族出身のチンギス・ハーンは遊牧民の部族長たちに推されて、1206年にモンゴル帝国を建国する。その理由としていえるのは、チンギス・ハーンの圧倒的なカリス...
収録日:2022/10/05
追加日:2023/01/07