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DATE/ 2022.09.20

『生まれが9割の世界をどう生きるか』に学ぶ遺伝と環境の真実

「親ガチャ」という言葉は、2021年「ユーキャン新語・流行語大賞」のトップテンに選ばれ、小学館主催の「大辞泉が選ぶ新語大賞」を獲得しました。「子どもがどんな親のもとに生まれるのかは運任せであり、家庭環境によって人生が左右されることを、カプセルトイのランダム性にたとえた言葉」というのが、その辞書的な定義です。

 この親ガチャ、冗談まじりに「もっといい親にあたっていれば」という文脈で(子同士の間で)使われることがほとんどですが、親としてはどう受け止めればいいのでしょうか。

『生まれが9割の世界をどう生きるか 遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋』(SB新書)の著者・安藤寿康氏によると、「親ガチャはまず遺伝ガチャで、親による環境ガチャの影響は限定的」とのこと。もっといえば「世界は遺伝ガチャと環境ガチャでほとんどが説明できてしまう不平等なもの」でありながらも、その影響を免れる人がいないという意味では「平等」という複雑さを持っているとのことです。

平等」の名のもとにこれまで隠されてきた「生まれが9割」の真実を、質問とそれに対する答えという形で説いた本書に沿ってひも解いていきましょう。著者である安藤氏は慶應義塾大学文学部の教授で、長年双生児研究で行動遺伝学を切り開いてきた方です。

親ガチャと個人差を決める“純粋な偶然”

 最初の質問は、「勉強もスポーツもパッとしません。スクールカースト上位の人が羨ましい。結局、そういう才能って全部遺伝じゃないんですか?」というもの。これに対する答えは「はい、すべて遺伝です」というストレートなものですが、実はここにいくつものヒントが隠されています。

 一つは、そのあとに続く「正確に言うと、全部に遺伝が関わっています」というお話で、そして「勉強とは」「スポーツとは」「学校とは」「才能とは」「遺伝とは」何なのか、というさまざまな問題を整理しなおすことの重要性を説いています。

「生まれが9割」の是非を問うには、まず遺伝について正しく知る必要があります。著者は遺伝について、「トランプや麻雀などのゲームで最初に配られた手札のようなもの」とたとえています。生まれたときに配られた札は変えられませんが、必ずしもそれが人生というゲームを決定するわけではなく、いかに上手に組み合わせて使うかにかかっていることを表しているわけです。つまり、それらはあくまでも「あなたという人間を内側からあなたらしい独特な形で作り上げる潜在性」であるにすぎないということです。

 では、その遺伝は具体的に私たちにどのように関わってくるのでしょうか。生物のあらゆる形質には遺伝の影響がありますが、遺伝率はそれぞれ異なります。たとえば身長や体重の遺伝率は90数パーセントですが、神経質や外交性、勤勉性、新奇性といったパーソナリティについての遺伝率は50パーセント程度。知能や学力、心理面も含めて、われわれを内側からつくりあげるほとんどの形質に30~70パーセントの遺伝率があります。ここまでを「親による遺伝ガチャ」と考えればいいでしょう。

 個人差を決める要素としては、遺伝のほかに共有環境5パーセント、非共有環境23パーセントが関わってきます。著者が「親による環境ガチャの影響は限定的」というのは、共有環境を指しています。それより4倍も影響の強い非共有環境とは、「その人にとっての、その時の、その場限りの、いまやっているそのことに関しての環境」であり、その本質は「運」。これこそ親や自分のせいにできない“純粋な偶然”=「ガチャ」ということになります。

誰の事情も忖度してくれない遺伝や統計の法則

 さて、上記のように個人差に遺伝が関与するなら、なぜ同じ親から生まれたきょうだいの間で「出来が違う」と言われたりするのでしょうか。

 実は、ここのところが一般人の大きく誤解している部分でしょう。著者が言い放つのは、「遺伝とは親と子が似る・同じになるという意味ではありません」という事実です。

 詳しくは、双生児研究を長く続けてきた著者による研究成果を読むのが一番ですが、ごく簡単にいうと、人間の形質は複雑・膨大であり、親から子へ遺伝子配列が伝達されるからといって、そう簡単に組み合わせは一致しないということです。

 2022年、ヒトゲノムの完全解読が宣言されましたが、それに前後して、遺伝子はこれまで考えられてきたような神でも運命でも設計図でもないと言われるようになりました。また、遺伝には「相加的遺伝」と「非相加的遺伝」があります。同じ親からさまざまな子どもが生まれるのは、「非相加的遺伝」すなわち中学で習ったメンデルの法則が働くためです。

 優秀な両親のもとに生まれた、“親ガチャ勝者”ともいえる人が、望まれるほどの能力を発揮できず、必ずしも幸福な人生を送っているとはいえないケースがよく見られます。それは、「平均への回帰」という統計的現象が影響するためです。両親ともに平均よりもずっと知能の高い組み合わせだった場合、子どもの知能の平均は両親の中間より、集団全体の平均に近づく確率が高くなります。つまり、知能の高い両親ほど、「なんでこの子はあんまり出来がよくないんだろう」と悩む確率が高くなるのではないかと著者は仮説しています。

 ただし、家庭のSES(社会経済状況)が高くなるほど、お金の制約といった環境側の圧力は低くなります。そのため、さまざまな能力についての遺伝率は上がる傾向があり、その人が本来持つ遺伝的素質が出やすくなると考えられます。

社会が生む能力や才能を自分で育てるには

 そうはいっても遺伝が司るのは形質や素質でしかありません。たとえば外観を定める「顔」を例にとると、パーツによる顔立ちが同じでも、どんな表情をするかによって、印象は変わってきます。パーソナリティと環境が連動して生まれる行動なら、なおさらです。

 ある人が生物学的なメカニズムに基づいて一定の行動を示しても、それを社会が評価しなければ「能力」とはいえません。さらに「才能がある」となると、より条件が厳しくなります。本書では「脳は予測器である」とも表現していますが、「予測脳」の内部モデルの質の高さが才能として現れるわけです。「才能がある」と言われるには、自分の持つ能力が特定の領域にフィットしている必要があります。例えば、「スポーツの才能」と言いますが、そこには走る・投げる・跳ぶといった身体能力だけでなく、それぞれのゲーム展開を見る・判断する・伝達するなどを素早く行う必要もあり、それらの統合については生まれ持った能力を磨くという要素が大きいからです。

 その点、才能があると言われる人は、他の人と同じ経験をしても吸収する知識量がまったく違い、学習曲線が急上昇のカーブを描きます。そして、人生の比較的早い時期に、そのことに没頭して学習する膨大な時間を注がなければなりません。以上の点がそろったところに生み出されるのが「才能」なので、これはもはや社会的産物と呼べそうです。

 また、自分の遺伝的アドバンテージを知るには、「これが好き」「これは得意」「これならできそう」といったポジティブな内的な感覚を大切にすることです。そのときに大事なのは、いきなりグローバルトップと比べないこと。好きなことをコツコツやっていくうちに、その分野についてどんどんと得意になり、いつのまにかローカルトップの座を占めるというのは、生物学的に見ても自然なプロセスなのです。

 このほか、本書には「学歴社会をどう攻略する?」などの章もあり、「遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋」というサブタイトル通り、そのためのヒントやメッセージが満載です。ということで、ご興味のある方は本書との出会いという“純粋な偶然”、それを処方箋として生かしてみてはいかがでしょう。この機会にぜひご一読ください。

<参考文献>
『生まれが9割の世界をどう生きるか 遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋』(安藤寿康著、SB新書)
https://www.sbcr.jp/product/4815615888/

<参考サイト>
慶應義塾双生児研究 Keio Twin Study
https://www.kts.keio.ac.jp/home