●もし私がレイテ沖海戦の栗田健男だったら
こんにちは。海上自衛隊幹部学校長の山下です。本日は、指揮官の意思決定プロセスの最終回となります。今回は、大東亜戦争におけるレイテ沖海戦の例を示しながら、「もし私が栗田健男だったら」という視点に立って、栗田艦隊がレイテ湾に突入するにあたり、敵機動部隊が北方にいるとの情報を受け、レイテ湾突入を継続するのか、または反転して敵機動部隊との艦隊決戦を期して北上するのかという歴史上重要な決心について、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。それでは話を進めてまいります。
軍事における指揮官の一般的な意思決定プロセスは、図に示す通りです。上級指揮官から任務を与えられたならば、「使命の分析」、次に「情勢の分析及び彼我方策の見積り」を行い、敵の方策を見積もります。「彼我方策の対抗・評価」で、彼我の方策を対抗させ、最後に「意思決定」の段階で、我の最善の方策を決定します。
「彼我方策の対抗・評価」では、スライドのようなマトリックスを作成・分析し、左側の敵の方策を、上に青い部分ですが我の方策を列挙し、対抗した部分の予想結果をマトリックスの交差部分に列挙します。この予想結果に対して、スィータビリティー・フィージビリティー・アクセプタビリティーの観点で、我の方策を比較検討します。これらについて、最終的に総合評価し、最善の方策を選択し、意思決定とします。
●情勢的に不利だったレイテ湾突入作戦
それではこの意思決定プロセスを、レイテ沖海戦に適用し、栗田長官のレイテ湾突撃か反転かの決断について考えてみましょう。レイテ沖海戦は図に示したように、四つの海戦によって構成されています。第一が、戦艦武蔵が沈んだシブヤン海海戦、第二が南側から栗田艦隊と呼応しようとした西村・志摩艦隊がほぼ全滅もしくは退却したスルガオ海峡海戦、第三は小沢艦隊が囮(おとり)となった作戦であるエンガノ岬沖海戦、第四が今回の意思決定プロセスの対象となるサマール沖海戦です。
栗田艦隊のレイテ湾突入は、アメリカのフィリピン上陸を阻止するため、南方の西村部隊・志摩部隊と呼応して、昭和19(1944)年7月25日11時と決められていましたが、西村部隊は魚雷艇、駆逐艦、巡洋艦等の攻撃を受けほぼ全滅、志摩部隊も敵情をつかめず退却しました。一方、小沢治三郎中将率いる機動部隊は囮...